大根と王妃 (王宮編) 第31話


今まで幾つもの出会いと別れを経験してきた。
その度に、沢山泣いて、その辛さを必死に乗り越えてきた。

その都度、思った。
これ以上の辛い別れはないと。

そして今回も――

海璃……

絶対に……

「もう一度、会いに行くからね……」

あの子の姿を思い浮かべ、手を伸ばす。

その日、果竪が目覚めたとの報せが王宮中を駆け巡った。
それは、延期された建国祭の丁度一週間前の事であった。


視線が突き刺さる。

「……あのさ」
「…………」
「そんなに見られると飲めないんだけど……」
「…………」
「蛍花?」

名を呼んだ瞬間、自分が上半身を起こしていた寝台横に居た蛍花の瞳から、涙が大量に流れた。

「蛍花?!」
「本当に」
「え?」
「本当に……目覚められたのですね?」
「あ、あの」

目覚めて今日で三日目。
けれど、それ以来ずっと蛍花はこの調子で果竪に纏わり付いていた。

だが、それも仕方ないだろう。
何せ、自分は一ヶ月間も眠り続けていたのだから。

目覚めてすぐ、それを蛍花から聞かされた時、驚きのあまりしばらく凍り付いたほどだ。
それでも、何とか我を取り戻して聞いた事はただ一つ。

蓮璋の生存についだ。

凍り付いていた間に、少しずつ蘇ってきた記憶。
最後に見た、蓮璋の姿を思い出した途端、居ても立っても居られずに蛍花を問い詰めた。

蓮璋は生きていた。

瀕死の状態だったが、すぐに治療がなされたという。
しかも驚いたのは、なんと蓮璋を治療したのが自分の夫だという。

だが、昔の夫を思えばそれは不思議でも何でも無い。
危険には自ら先頭に立って立ち向かい、傷ついた者達を率先して救ってきた人だ。

他の者達では手の施しようがなかった状態を、夫は見事に回復させた。
ただし、傷は治ったが、体へのダメージは大きく、最近になってようやく寝台から起き上がれるようになったとか。

蓮璋とはまだ会えていない。
すぐにでも会いたいという気持ちはあったが、一月も眠っていた体は思うように動かず、それどころか極度の眠気から、寝ては起きるを繰り返していた。
蓮璋の事も何とか無事の情報を聞き出したが、それで限界が来た。
それ以外は何も聞けていない。

それでも、今日になってようやく体調も優れるようになり、こうして起きる事が出来たのだが――

蛍花は、また自分が眠ってしまうのではないかと酷く恐れている。
その恐れが、今の蛍花の態度の全ての原因となっているのだろう。

果竪はそれを思えば、何故もっとはやく目覚めなかったのかと自分を殴りつけたくなる。
しかし、それは同時に海璃と出会えなかった、もしくは海璃との時間が少なくなる事を意味する。

海璃……今あの子はどうしているのだろう

目覚め、蛍花の元に戻って来れた事は純粋に嬉しい

けれど、海璃の身も心配だ

はやく、元気になって探しに行かなければ――

「果竪、どうしたの?」
「ん?何でも無いわ」

心配そうにする蛍花に、果竪は微笑んだ。

「大丈夫だよ、昨日よりも調子がいいから」

昨日までは殆ど眠っている記憶しかなかったが、今はすっきりとしている。
きっと、蓮璋と会える日も近いだろう。

「良かった……」

蛍花は涙ぐみ、果竪の手を取った。
ずっと願い続けていた。
目覚めるその日を。

「それで、蛍花に教えて欲しい事があるの。私が眠っていた間に起きた事を」
「……分りました」

本当なら教えたくない。
このままもっと休んでいて欲しい。
けれど、果竪の強い眼差しがそれを許さない。

何より果竪が望む事ならば何でもしてやりたい。

蛍花は果竪に負けない強い眼差しを浮かべた。

「まず、これはもう知っていると思うけれど――果竪は刺客に襲われて一ヶ月眠っていたの」
「ええ」
「それで刺客は……見付かりませんでした」

逃げられたと、蛍花は言う。

「その後、兵士達が駆けつけましたが……果竪もそうでしたが……特に蓮璋さんは酷い大怪我で……とうてい医務室に運んでる時間はありませんでした。そこに、王が駆けつけたんです」
「あの人が……」
「宰相様や他の方達を引き連れたあの方は、裾が血に濡れるのも構わずに蓮璋さんに触れました。そうしたら、みるみるうちに傷が塞がって……その後、蓮璋さんと果竪はすぐに医務室に運ばれました」

そしてそこで分ったのだ。

「蓮璋さんは助かりました。ですが、果竪、貴方は何をしても目覚めなかった」

どんなに手を尽くそうと、果竪は目覚めなかったのだ。

「それどころか、果竪。貴方に異変が起きたの」
「異変?」
「そう……貴女に、誰も触れられなくなったの」

そこに居る筈なのに、まるで幻のように手がすり抜ける。
それは、医師だけでなく、王宮の者達全てに起きた。

「私だけが触れられたの」
「蛍花だけ?」

それは、ようやく果竪の側に近づく事が許された時だった。
王宮の者達は、ただ一人触れられる蛍花に驚いていた。

「何故私だけが触れられるのか?色々と調べられましたが、結局どうにもなりませんでした」

それでも、このままにはしておけないとして、とりあえず場所を移すことになり、この離宮が宛がわれたのだ。

離宮には、果竪の他には蛍花だけが住んでいるという。
蓮璋は、此処から離れた医務室に近い場所にいるとか。

確かに一度瀕死の状態陥った蓮璋の方が医務室に近い場所に居た方が良いだろう。
果竪の場合は、目覚めない事と触れられない事以外は命に別状はなかったのだから。

そうして、王宮内の片隅の離宮に移された果竪はそこで昏々と眠り続けた。
蛍花以外の者達が居ないのも、果竪の世話を直々に出来るのは彼女だけだからだろう。
ただ、必要な物資類は、毎日様子を聞きに来る使者が調達してきてくれたらしい。

しかし、それでもこの離宮はかなり広い。
そんな中、蛍花以外に誰も居ないという意味。

自分に触れられずとも、出来る事はある。
けれど、一人として離宮に居ない侍女と女官。

そして、片隅という離宮の場所。

見捨てられた

追いやられた

ていのいい厄介払い

そんな事は、幾ら鈍い果竪だって容易に気づく。

「それから一ヶ月、蛍花は面倒を見てくれたのね」

部屋を見れば掃除も行き届いている。
幾ら使う部屋だけとはいえ、一ヶ月も一人で人の面倒を見るなんて、どれほど大変だった事か。

「ありがとう」
「果竪……」
「それで、他に変わった事はない?」
「変わった事……は……」
「この離宮には、使者以外に来た人は?」
「いえ……使者しか来ていません。果竪が此処に移されてからも……移される前も」
「前?」

蛍花の視線が彷徨い、果竪は気づいた。

「陛下達も」
「……はい……蓮璋さんを治療してすぐに、戻られました」

果竪の治療に関わっていたのは、主に医療部門の者達だけだという。
それも上層部以外の者達ばかりで、王や上層部は一度も来なかったとか。

本格的に見捨てられている

果竪は心の中で自分を笑う。

「そう……」
「あ、あと、沖国の事ですが」
「沖国――」

沖国の王女は凪国国王の妾になる

自分が眠る前に決定された事柄。
そう――自分はそれを止める為に王妃を続けると決めた。

その話はどうなったのか?

「実は、四日後に建国祭があって、それが終了した後にこちらに来る事になりました」

果竪が眠った事で延期されたのだという。

だが――

「建国祭、するの?」
「はい」
「なんで?延期されたんじゃ」

蓮璋達の事で、延期されたそれ。
しかも、暗殺事件により更に延期された筈。

「その、実は暗殺事件の事が公になった事で民達が不安がったそうです。それで、凪国は安泰だ、王も元気だという事を伝える為と、王妃様のご帰還を祝す為にもと」

つまり、建国祭で浮かれている暇があるぐらいうちは余裕なんだぜ、へい!というのを大々的に伝えるという事か。
国内外に対して。

「けど、沖国の姫君を紹介するなら、建国祭はうってつけなのに」

そして、果竪が王妃を退任するのも建国祭が――

って、ちょっとまって。

王妃様のご帰還を祝して?

「って、祝されたら余計に王妃を辞められなくなるじゃない!」

いや、王妃は続ける事にしたのだから別に問題はないだろう。
そう……まだ今は辞められない。

沖国の王女を守る為には――

まあ、もしかしたら余計なお世話かもしれないけれど――王女様にとっては

「けど、決まったのっていつなの?」
「今から十日前の事です」

それはまだ自分が眠っていた頃だ。
しかし、そうだとすると、帰ってきた王妃は建国祭に顔を出せない事になる。
その場合、王の隣に立つのは寵姫だけだ。

王妃が居らず、寵姫だけが王の隣に立つ。
それは、すなわち王の心が寵姫にあり、更には寵姫が王妃よりも王に近く、更に強い権力を有していると民達に知らしめる事になるだろう。

「つまり、王妃は別に参加しようとしなかろうと関係ないと」

求められれば、それこそ身代わりでも立てれば良い。
そもそもヴェールを被り、民達には一切顔を見せなかった王妃だ。
身代わりなど幾らでも立てられるだろう。

そう……最初から果竪の存在などどうでも良かったのだ。
果竪の存在は、いらないのだ。
必要なのは、寵姫ただ一人。

「果竪……」

心配そうに見つめる蛍花に、果竪は慌てて笑顔を浮かべた。

「大丈夫だよ」

明らかに自分が参加出来ない事を考えて立てられた建国祭の日程。
けれど、それで構わないではないか。

もともと王妃を辞めようとしていた。
寵姫に全てを譲り、自分は姿を消そうとしていた。
今王妃を続けるのは、沖国の王女を助けるためだけ。

「でも、一ヶ月も眠っていたのにどうして私は王妃のままなのかしら?」
「果竪?」
「いや、普通はさ、眠りについた王妃って役に立たないじゃない?子供が産めるわけでもないし。なら、そういう王妃はすぐに退位、又は降格させて他の女性を王妃にするものだと思うのよ」

そういった国は、果竪も今まで何度か見てきた。
特に、今の夫のように愛する女性が寵姫として既に側に居る場合は。

「王妃なんてぽ〜いな筈なのに」
「か、果竪……」

枕を自分に例えて投げる果竪に、蛍花は頬がひくついた。

それでいいのか?自分の価値って。

「そ、それは、果竪しか王妃に相応しくないからでは」
「あそこまで陛下が寵姫といちゃついててそう言う?」
「……ごめんなさい」

蛍花は素直に謝った。

あの謁見の間での暗殺未遂事件。
王は即座に寵姫を守り、果竪を放置した。
それは、王の側近達も同様だった。

「まあ、でも沖国の事もしばらく延期にされたらしいから、少しは時間があるよね」
「時間ですか?」
「沖国の王女様のこと」

対策を立てなければ。
出来るならば、恋人と娶せてあげたい。

「それに、蓮璋の顔も見に行かなきゃだし、ああ、その前にこの弱り切った体を鍛えないと」

寝たきりだった体は、まだまだ筋肉が弱っている。

「とにかく、やる事は沢山あるわ」

そう考えると、逆に建国祭に出なくて良かったと思う。
もし出るとなればそれどころではなかっただろう。

「あ、でも蛍花は出て良いからね」
「果竪……」
「凄く素敵なのよ、建国祭」

沢山の式典、沢山の出し物。
王都も多くの者達で賑わう。

そして建国祭三日目――最終日の夜には、沢山の花火が打ち上げられる。

二十年前までは、それを自分も見ていた――この王宮で。
後宮の奥深くで。その隣には、夫が居て、周りには皆が……上層部のみんなが居た。

楽しかった

でも、もうその頃は二度と戻らない

「あのさ……」
「果竪?」
「私が目覚めてから……」

誰も来てないよね?

最後まで言い切る事の出来なかった言葉をくみ取り、蛍花は静かに頷いた。

目覚めてからも、誰も来なかった。
ただ、使者だけが訪れて果竪が目覚めの報せを持って戻っていった。
それから一度も訪れていない。

王も、上層部も、誰一人として、この宮を訪れる者達は居なかったのだ。

当然、建国祭に参加しろという旨の言葉もない。

本当に、忘れられた場所なのだ――此処は。

「ま、いっか」

そう言った果竪が、どれほどの想いでそう告げたのか……蛍花には想像すら出来なかった。

悔しかった。
悔しくてたまらなかった。
どうして果竪がこんな目に遭わされるのか。

どうして果竪ばかりが――

その時だった。

蛍花は自分の懐で振動するものを感じた。
慌てて取り出せば、ビー玉ほどの大きさの石ころが震えている。

「それは……」
「この離宮に使者などお客様が来た時に知らせてくれるものです」

離宮の最奥にあるこの部屋から、離宮の入り口までは距離も遠く、誰か来たとしても分らない。その為、訪れを知らせる為の道具として、この石ころが手渡された。
因みに、蛍花の出迎えなしに勝手に入る事は出来ない。
仮にも王妃の居る場所として結界が張られているからだ。

「ちょっとお待ち下さい」

使者が来たのだろうか?

蛍花が部屋から出て行く。

「お見舞でもくれるのかしら?」

それから数分後。
もの凄い勢いで走ってくる足音が聞こえたかと思えば、蛍花が転がり込んできた。

「蛍花?!」
「果竪、大変ですわ!」
「は?」

大変って何?と首を傾げれば、蛍花がわたわたとしながらそれを口にした。

「陛下が、こちらに参られるそうです!」

その途端、果竪は本気で居留守を使いたくなった。