大根と王妃 (王宮編) 第32話
居留守は無理だ。
ならば寝たふり、眠ったふり、死んだふり
「三番だわ」
何故そこで三番を選ぶかって?
それほど切羽詰まっていたからだ。
しかし流石にそれは蛍花に止められ、ならばと大根を身代わりにしようとしたところで、部屋の扉を叩かれた。
「ひっ!」
「あの、私が対応しましょうか」
まだ気分が優れないと言って。
「いや、それだと蛍花が悪く思われちゃうわ」
寵愛を失った后など、ある意味下女よりもランクが下だ。
そんな相手の側に居る相手に何かを言われれば面白くないだろう。
ならば、素直に従った方が良い。
果竪は大根を身代わりにする事を諦めた。
だが、それでもまだ心が決まらない。
一ヶ月ぶり――といっても、ずっと寝ていたので実際には三日ぶりだが、今まで全く音沙汰のなかった相手が訪ねてくるのだ。
冷え切った仲である夫の来訪。しかも一人ではなく、宰相や朱詩など側近も一緒だという。
追い詰められたネズミのような心境だ。
その思いが、果竪にこう叫ばせた。
「ごめんなさい、今着替えてて」
扉が勢いよく開け放たれた。
入ってきた夫に、果竪だけでなく蛍花も考えた。
この成り行きをどうとらえるべきだろうか?
今、着替えしてるって言ったよね?
実際にはしていないが、普通はそう聞かされれば躊躇するものではないか?
躊躇どころか迷いもなく扉を蹴破る様に開けなかったか?
そのままスタスタと果竪の元にやってきた王――萩波は、まじまじと自分の妻を見る。
「なんだ、着替えてないではないですか」
そこに追いついてきたのは、宰相と朱詩だった。
とりあえず、果竪は二人を見た。
ふるふると、震える指で夫を指す。
この時ばかりは、二人は果竪の意を汲んでくれた。
「陛下、今から着替えるんだ」
「そうそう、今から着替えるから外で待っていようね」
「夫婦なのですから問題ないです」
あるだろ!!
この時、宰相達と果竪達の心は一つになった。
「と、とにかく今から着替えるのでもう少しお待ち下さいっ!」
果竪が慌てて言うが、萩波はすっと手を振り蛍花に出て行けと合図を送る。
「あ……」
迷う蛍花だが、次いで向けられたその視線の鋭さに、気づけば部屋の外に出ていた。
背後で扉が閉まり、ようやく我に返る。
慌てて扉を開けようとするが、全く開かない。
「果竪……」
扉の前で、蛍花は途方に暮れた。
一方、残された果竪は、寝台横に立つ萩波に半ば怯えていた。
そんな二人を、宰相と朱詩は離れたところから見守っている。
いや、監視していると言った方が正しいか。
「な、何用でしょうか?」
「…………」
「あ、あの……」
と、強い力で顎を掴まれ上向かされる。
「っ――」
「…………」
萩波は黙ったままだった。
何も言わず、果竪の顔を見下ろす。
その何処までも冷たい眼差しに、果竪は意識が飛びそうだった。
今まで、一度だってこんな目で見られた事はない。
やはり、自分はもう夫にとってどうでもいい存在なのだろう。
「調子は」
「え?」
「調子は、と聞いているんです」
まさかそんな事を訪ねられるとは思っていなかった為、答えるのに手間取ってしまった。
しかしそれでも何とか良好である事を告げる。
「そうですか……では、問題はないですね」
「へ?」
問題ないって何が?
「蛍花から既に聞いていると思いますが――」
そう切り出した萩波に、果竪はゴクリと唾を飲む。
「建国祭が四日後に迫っています」
確かに聞いた。
だが、それがどうしたというのか。
そもそも自分が眠っている間に決まった事だ。
自分が参加する事はまずないだろう。
もしかして、お前の参加はないのだから、ここで大人しくしていろという事か?
確かに、下手に王妃が顔を出せば混乱が起きるかも知れない。
それも、今まで眠っていた王妃なのだ。勝手がわからず大失態を犯してしまうかもしれない。
建国祭といえど、正式な式典だ。
ずっと前から準備し、王や王妃ともなれば入退場を始めとして、色々な段取りが必要となってくる。
うん、そう考えれば考えるほど大人しくしていろと言う事だろう。
「貴方も出席するように」
「はい、大人しく休んでます――は?」
目を見開き、萩波を凝視する。
「……出席?」
「そう聞こえませんでしたか?」
「…………」
果竪は固まった。
出席って……出席って……。
「それは、どういう事でしょうか?」
「どうもこうもありません。王妃の出席を命じているのです」
王妃の出席
まさか命じられるとは思っていなかった。
「で、でも、私は……」
眠り続けていたのだ……一ヶ月も。
そしてつい三日前に目覚めたばかりで。
しかもこうして何とか起き上がれるようになったのは、今日だ。
式典に参加しようにも、何の準備もしていない。
王妃の衣装もない。
まさか、普段着で出ろと?
「必要なものは全て揃っています。後は貴方の身一つ」
「揃って……」
「貴方は何も心配しなくていいのですよ」
『貴方は何も心配しなくていいのです。私達が守りますから』
昔の夫の言葉と同じ。
でも、安心感など生まれなかった。
不安げに見つめる自分に、笑み一つなく冷たい視線を向ける夫がとてつもなく恐かった。
だが、その前に――
「あの」
「はい?」
「衣装……用意って……」
採寸とか、そういうのは何時したのだろう?
というのも、だ。
「私、前よりちょっとだけ身長伸びました」
そして
「胸囲もちょっとだけ増えました」
その途端、何かが壊れる音が聞こえた。
だが顎を固定されて振り向けない。
しかしその必要は全くなかった。
「王妃様の」
「胸が」
「大きくなった」
「だってえ?!」
なんだその反応。
宰相と朱詩がもの凄い勢いで果竪の前までやってきた。
「嘘?!大きくなったの?!」
「誤差じゃないのか?!ほら、よく気温で一時的に膨脹するあれだっ」
「そうだよ!じゃなきゃ果竪の胸が膨らむはずがない!」
「それに見た目全然変わってないぞっ」
「ってか計らせて!マジ?マジで?!」
そうしてどこからともなくメジャーを取り出す朱詩に、果竪の中で何かがぶちぶちと切れていく。
それは絆か、はたまた思い出か。
壊れるではなく、切れたのだ。
「二人とも……」
これは怒ってもいいだろう。
寧ろ怒るべきだ。
果竪が二人に向って叫ぼうと口を開いたその時。
胸に圧迫感を覚える。
「へ?」
いつの間にか顎を掴んでいた手が消えていた。
自由を取り戻した顎が下に向き、果竪はその圧迫感の正体を見た。
「…………」
「ふむ……」
むぎゅむぎゅと胸を揉む――王の手。
一切の躊躇いもなく、容赦もなく果竪の胸を揉んでいく。
と、萩波の目がカッと見開かれる。
「以前より一ミクロン増えてます」
一ミクロン?!
宰相と朱詩の中で雷が落ちた。
「そんな……そんな……」
「あの、何をしても全く膨らむ事のなかった果竪の胸が?!」
「陛下がどれだけ揉みまくっても、うんともすんとも言わなかったあの胸が?!」
「増えただと?!」
「しかも一ミクロンも?!」
「余計なお世話だぁぁぁぁ!」
果竪が側にあった枕を投げつける。
しかし二人はそれを軽やかに避けた。
「私の胸が大きくなった事がそんなに有り得ないの?!」
「有り得ません」
「有り得ないよ〜」
即答した宰相と朱詩に、果竪は怒りを通り越して殺意を抱いた。
「あの何処までも真っ平らな胸が」
「たった二十年で大きくなるはずがないよっ!」
「それでもなったんだもん!」
一ミクロンもっ!
ミクロンと言われている時点で既に馬鹿にされているようなものだが、果竪にとってはその一ミクロンが大事だ。
「まさか……誰かに揉んでもらっていたんじゃ」
「果竪、誰なの?その相手はっ!」
何故かかけられた浮気疑惑。
ここは切れていいのだろうか。
と、なぜだか部屋の温度が下がってきた気がする。
「って、陛下、手を離してっ!」
ずっと揉み続けていた夫に果竪は叫ぶ。
そこにはもう、王に対する礼儀はない。
いや、そもそも妻の胸をこうして躊躇いもなく揉む相手を、王として敬う事は無理だった。
「手を離して!」
暴れるが、更に激しく揉まれる胸。
そういう事は普通は寵姫にやるべきだろう。
あの浴場で見た寵姫の乳房はとても大きかった。
決してバランスが悪いほど大きいわけではない。
腰が細いだけに、その華奢な体には到底不釣り合いな大きさの胸の膨らみは目立ち、存在を主張してしまっているのだ。
だが、そんなアンバランスさは絶妙で、首から上の顔立ちが清楚な分、凄まじいまでの妖艶な官能的な色香を漂わせていた。
男がそそられる清楚な顔に、妖婦のような身体。
それを持った寵姫の胸ならば、さぞや揉みがいがあるだろう。
いや、常に揉んでいる筈だ。
寧ろ、あの胸は萩波が育てた?!
果竪は衝撃を受けた。
自分も追放される前はそういう事をしていたが、どれだけ萩波に揉まれても全く大きくならなかった。
でも、寵姫の胸を育てたのが萩波だとすれば――
パタンと果竪は寝台に倒れた。
「果竪?」
涙でシーツに大陸が描かれた。
「陛下が胸を揉みすぎるから」
いや、それは違うだろうが、朱詩の窘めに萩波はようやく果竪の胸から手を離す。
その手がとても名残惜しそうに見えたのは、朱詩と宰相だけの秘密である。
「とにかく、建国祭には出るように。衣装は大丈夫です。胸が一ミクロン大きくなっても、衣装にはそう差し支えなどありません。それこそ、寵姫レベルのボンッキュッボンにならない限りは何の問題も出ませんから」
ボンッと、何かが発火した音を宰相と朱詩は確かに聞いた。
王の口を塞ごうとした体勢のまま、果竪の方に視線を向け、凍り付く。
果竪は燃えていた。
怒りの炎で燃えていた。
「…………」
うつ伏せのまま、ゴオゴオと炎を燃えさからせ、そして叫んだ。
「出てけえぇぇぇぇ!」
宰相と朱詩は更に何か言いつのろうとした王を引き摺り、離宮から飛び出した。
その日の夕食に並んだのは、沢山の牛乳だった。
「あの、果竪?」
蛍花が震える声で名を呼ぶ。
しかし、果竪は振り向かなかった。
その手に、特大の牛乳パックを抱えてゴオゴオとバックに炎を燃やす。
四日後までにBカップ
四日後までにBカップ
四日後までに
ぶつぶつと念仏のように呟く果竪に、蛍花はあの時どうして扉を蹴破ってでも突入しなかったのかと激しく悔やむ。
そして、王達を激しく恨んだのだった。
因みに、その日のうちに果竪の胸一ミクロンアップ情報は、果竪の目覚めを知らせる速さを更に上回り王宮中に伝わったという――。