入学式は波乱に満ちて-10



夜も完全に明け窓から朝日が差し込む頃。
トイレから戻った蒼麗は、自分の部屋の前に美樹の妹である光奈が此方に背を向けて立っているのに気付いた。

(あれ?何でこんな所に)


思わず息を潜め、足音と気配を消してその場に立ち止まった。それはほぼ反射的なものだった。

一方、光奈はそんな蒼麗には気付いていないのか、此方を振り向こうとはしない。
だが、何だかオロオロと困っている様子が見受けられた。
そんな光奈は、その立ち姿はもとより、後姿すらも愛らしく可憐であり、また年齢に似合わない艶のある色香が漂わせており、
それと相まって後姿だというのに思わず後ろから抱きしめたくなる衝動にかられてしまう。

それに、何と言ってもあの後姿からも解かる抜群のスタイル。
膝まであるスカートから覗く長い足も白くすらりと伸び、括れた腰と華奢な肩は文句のつけようのない代物だ。
同性の自分でさえ思わずグっと来るのだから、異性ならば本能のままに突っ込んでいくだろう。


と、オロオロしていた光奈がしょんぼりと肩を落としながら踵を返していく。

「あ」

蒼麗は思わず声を発した。

すると、光奈も気付いたらしい。

何時もは強い光を宿すその瞳が一瞬驚きに見開かれる。
が、蒼麗はその中に不安の光を見たが、すぐにそれは消えた。


「あの、何か」


こんなに朝早く……っていっても、午前6時30分にはなっているが、こんな時間に、しかも自分の部屋の前に光奈が居るのは今まで見たことがなかった。
そもそも、光奈は他の家族と共に自分を嫌っており、普段から滅多に近づいてこなかった。どうしても顔をあわせなければならない時でも面と向かって口も利かない。

それからすれば、こんな時間に自分の部屋の前にいる筈がないのだが……。


そう思っていると、光奈が口を開いた。


「あんた………」


「はい?」


「………別に、何でもないわ」


そう言って、光奈は少し顔をうつむかせると次には何時も通りの様子で歩き出した。
このまま行くと、何事も無く自分達はすれ違う。しかし、蒼麗は先ほどの光奈の様子が気になった。
そしてすれ違う瞬間


「あ、ま、待って!!」


呼びかけに、光奈の足が止まった。


「何?」


「あの、何か用だったんじゃ」


「あるわけないじゃない、そんな事」


淡々と告げるその口調は、何処か何時もとは違う。


「学校の準備があるからもう戻るわ」


「光奈さん……」


そう蒼麗が呟いた瞬間だった。


光奈の瞳がカッと見開かれる。


「気安く呼ばないで!!」


「っ?!」


「何よ!!あんたなんか、あんたなんか素性も知れないくせにっ!!」


まるで堰を切ったように、光奈の口から罵りの言葉が溢れ出す。


「私の名は私の家族だけが呼んでいいのよ!!家族でもないあんたになんて呼んでもらいたくないわっ!!」


『私の名は私が認めた人だけが呼んでいいものよっ!!それ以外の人が私の名を気安く呼ばないでっ!!』


光奈の言葉に、あの子の言葉が重なり蒼麗は戸惑った。


「知ってるわよ!3日前の地下鉄での出来事!!図々しいだけじゃなくてとことん運が悪いのね?!って、まあそれは別にいいわ。
問題はその後よ。美樹に何を言ったのか知らないけれど、お父様にまでご迷惑をかけるだなんてとんだ居候よね?!」


「あ……そ、それは」


「確かにお父様の力ならばマスコミは黙るわ。けれど、お父様はそういう風に権力を使うのを嫌っている。なのに、美樹に泣きつかれて
仕方なく……本当に疫病神よね、貴方はっ!これでうちの家の評判が落ちたらどうしてくれるのよっ!それに美樹も美樹よ!
貴方みたいなのを助けるために………本当にグズなんだからっ」


「訂正してください」


「え?」


それまで黙っていた蒼麗が、凛とした強い口調でそう言った事に光奈は言葉を止めた。


「な、何よ」


「私は確かに此方に強引にお世話になっている身です。そして今回地下鉄の件では沢山ご迷惑をおかけしました。
この恩は後で必ずお返しします。けれど、美樹さんは関係ありません。彼女は私を思ってやって下さっただけです。
最初に拾われた時だって、もし拾ってくれなければ今頃私は風邪で肺炎にでもなっていたかもしれません」


いや、自分は風邪など引かないし肺炎にもならない――人間がひくような風には。
しかし、体の気は狂い体調を崩してしまう事は避けられなかっただろう。成人していればまだしも、まだ未熟で不安定な未成人の自分であれば
そうなったが最後、しばらくは動けなかったはずだ。もしかしたら、見かねて他のものに保護されていたかもしれないが、きっと美樹に助けられた今とは
比べ物にならないほどにメンドクサイ事態になっていたに違いない。


そうなれば、きっと向こうがシャシャリ出てきたはずだ。


自分は正体をバラす気も無ければ、向こうの情報を流す気も無い。
だが、こちら側の人間がどう動くかで、万が一という事も出てくるだろう。


そして万が一バレれば、向こうの者達は決して容赦しない。


だから、思う。
自分を助けてくれたのが美樹で本当に良かったと。


なのに、そのせいで美樹は家族から非難を受けている。
それは酷く心苦しかった。しかし、此処で自分が居なくなれば余計に美樹は傷つく筈だ。
自惚れでは無く、それは真実だ。既に美樹は自分に少なからず依存と執着をしてしまっている。


そしてそれを振り切ろうにも、美樹の周りに居る家族達の態度を思うとそれを実行するのが酷くためらわれてしまうのだ。



せめて、美樹の家族がこんににも美樹を非難していなければ……。
それに、自分が居ようと居なかろうと、この家での美樹の立場は酷く悪く、蒼麗はそれも気にかかっていた。


「何と言おうと、私は美樹さんに感謝してますし、その美樹さんの為にもすぐには出て行きません」

「美樹のせいにする気?」

「いいえ、全ては私の意志です。私が美樹さんと一緒に居たいからここに居るんです」

「なら」

「いつかは出て行きます。そしてそれはそう遠くない日に来る筈です。ですが、もう少しだけ此処に置いて下さい。
美樹さんが心配なんです」

「美樹が心配?」

「はい」

「心配ってどういう事よ!私は貴方みたいなよそ者が美樹の傍に居る事こそ心配だわ!!」

「悪い影響は与えません」

「影響以前の問題よ!!何時も美樹の傍にひっついているなんて許せない!!私達がどんな思いで――っ」

しまった!そんな感じで目を見開き、光奈は口を手で覆った。

「どんな思いで?」

「う、煩い!!もういいわ!!」

続きを聞こうとした蒼麗に、光奈がキッと睨みつける。

「絶対に……絶対に追い出してやるんだからっ!!」

そう叫ぶと、光奈はその場から走り去っていった。

後には、蒼麗だけがその場に残される。

「………やっぱり無理なのかな」

蒼麗だって、この家にお邪魔しているのは本当は心苦しい。
どれだけ美樹が良いと言ってくれても、所詮自分はこの家の人間ではなく、突然現れしかも図々しく居座っている邪魔者でしかない。
美樹の家族が嫌がるのもわかる。


けれど、それでもせめて少しでもいいから関係を良くしたかった。
自分勝手、自己中心的、図々しい、甘い、そんな風に言われるかもしれない。
けれど、結果的に此処に居させて貰っている間ぐらい、少しでも仲良くしたかった。

だが、それは此方の勝手な言い分なのだろう。

よく、助けられた家で歓迎されて温かくもてなされるのはそれこそ昔話の中でだけという事だ。

「はぁ……本当に自分勝手ね、私って」

自分の行いを反省した蒼麗は、後で光奈に謝りに行こうと心の中で誓った。
たぶん迷惑がられるかもしれないが、その時はその時だ。

とりあえず、部屋に戻ろうと蒼麗は光奈の去った方とは反対に歩き出した。


カツン


足が何かに当たる。

「え?」

床に視線を向ければ、そこには小さな巾着袋が落ちていた。よく天然石を入れておくタイプのものだ。
拾い上げてみると中に何か入っていた。

「もしかして……光奈さんのかな?」

思い出せば、そこは先ほどまで光奈が立っていた場所だ。
もしかしたら彼女が落としたのかもしれない。
それに、先ほど自分がトイレに行くまでにはこんなものは落ちてなかったし。

「名前とか書いてあればいいんだけど」

たぶん光奈のだとは思うが、もし違ったらそれはそれで大変だ。
蒼麗は巾着袋をクルクルと回して手がかりとなるものを探す。
が、きちんと袋が閉まってなかったらしい。逆さにした時、中に入っている物の重みで袋の口が開いて中に入っているものが出てきてしまった。

「うわっ!」

すぐに手を差し伸べ、床に落ちる前にそれをキャッチする。

「あ、危なかった〜〜……って、え?!」

掌に収まったそれに、蒼麗は目を見開いた。

何と……それは、蒼麗が地下鉄の車内で拾った赤黒い宝珠だったからだ。
しかも、今蒼麗が持っているのとは違い、とても嫌な気配が漂っていた。
禍々しくて、重苦しくて、邪悪という名が相応しい気がその宝珠から立ち込めている。
しかも、何やらとんでもない力を秘めているのが感じられた。

これはとてつもなく、強力な力を持つ宝珠に間違いない。

また、その嫌な気配に、蒼麗は覚えがあった。

というのも、今自分が持っている赤黒い宝珠も、地下鉄で拾ったばかりの時は今拾ったこれは同じ禍々しい気配を放っていたからだ。
そしてあの時はそこまで頭が回らなかったが、今考えてみれば、拾ったばかりの時はこれと同じく何かとてつもない力を秘めていた気がする。

なのに………


地下鉄で拾ったのはどうして嫌な気配が無くなったのだろう……

どうして何の力も持たない唯の石ころになって

その時だった


パキイィィィィィィンっ!!


「きゃっ!!」


聞き覚えのある、何かが壊れる音が辺りに響く。
と共に、蒼麗の手の中で禍々しい気配を放っていたその赤黒い宝珠から一気に嫌な感じは消えてしまった。


そう……あの地下鉄の時のように


「ちょっ、え、えぇ?!」

慌てて手の中の宝珠を見れば、それは地下鉄の時と同様、完全に力を失っていた。

「う、嘘………あの時と同じ……」

力を失ってしまった宝珠を手に、蒼麗は呆然と立ち尽くす。


しかし、ほどなくある事実に気付き青ざめた。


地下鉄で拾ったのと今拾ったものは同じものだ。

しかし、地下鉄の時とは違い、これには持ち主がおり、それがたぶんはっきりしている。

にも関わらず、、誰かの……光奈のものかもしれないのにこの宝珠からは一切の力が失われてしまった。

つまり簡単に言えば、壊してしまったという事。
玩具で言えば、ハンマーで粉々に打ち砕いたぐらいに。


……………弁償ものだ。


「ど、どうしようっ!!」

人のものを勝手に壊してしまった事実に、蒼麗は慌てた。


ってか、自分には修復はまず無理だ。
いや、やろうと思えばやれるかもしれないが、此処ではどうしようもなかった。
器具もなければ設備も無いのだから。


つまり、直すことは出来ないということだ。

それに忘れていたが、もしかしたら光奈が落としたことに気付いて今すぐにも此処に戻ってくる恐れもあった。

「うわ〜〜ん!!どうしようっ!!」

今度こそ此処を叩き出されるかもしれない!!

「と、とにかく何とかしなきゃっ!!」

ワタワタと焦りながら、とにかく安全な場所で作戦を練ろうと蒼麗は自分に宛がわれた目の前の部屋に飛び込んだ。

勢いよく扉を閉め、蒼麗は扉を背に大きく息を吐きその場に座り込んだ。

「どうしよう……やばい、やばすぎる……」

部屋に飛び込んだはいいが、何もいい案が浮かばない。


一体どうすれば………


「あれ?」

ふと、浮かんだ疑問。
それは、真っ白い紙に落ちたインクのように蒼麗の中に広がっていく。

「ってか、そもそもどうしてあんなものを光奈が持っていたんだろう」

蒼麗は地下鉄で拾ったものと、先ほど拾ったもの両方を取り出し比べてみた。

見た目は全く同じ。そればかりか、先ほど感じられたいやな気配も、中に秘めていた力も同じ。
そしてその力ははっきりいって、邪悪というに相応しいものだ。


普通の人間が持っているような代物ではないし、持っていていいものでもない。

それを、何故光奈が……。

いや、それ以前にどうして地下鉄で拾ったものと同じものを光奈が持っているのだろう?





これは偶然か?






それとも……