入学式は波乱に満ちて-4
美樹に拾われてから三日目。
ようやく、蒼麗は熱が下がった。まだ完全に体調は回復していないが、もう大丈夫だろう。
「蒼麗って本当に強情なんだから」
昼食を運んできてくれた美樹がそうぼやいた。
この三日間。何度も医者を呼ぼうとした美樹に、蒼麗は全力で拒否した。
別に呼ばれてもどうって事はないが、なにぶん相手にその費用を出させてしまうのは貧乏症の蒼麗には耐えられなかった。
それに、この位でどうにかなるほど弱い体ではないのだから、余計な所にお金を使う必要はない。
「お金のことは本当に心配ないのに」
「何を言うんです!!お金は一円でも大切なんですよ?!」
塵も積もれば山となる。一円とて馬鹿には出来ない大切なお金。
そう熱弁をふるう蒼麗に、美樹は圧倒された。この三日間見ていたが、どうやら蒼麗はかなりの節約家らしい。
「なんか凄いね……ってか、蒼麗が家のやりくりをしたら凄いことになりそう」
「そんなことありません。何時も家計は火の車です」
「へ?」
家計って……。
「あ、私実家暮らしじゃないんで。学校の寮で一人暮らししてるんです」
「一人暮らし?!」
「はい。しかも実家からは生活費も学費も一切でなくて……」
「えぇ?!じゃあ、どうやって学校に通ったり生活してるの?!」
「アルバイトです」
「アルバイト?!って、まだ中学生でしょう?!」
「はい」
と、そこで蒼麗はハッとした。
そうだ。こっちでは子供はアルバイトにかなりの制限があるのだった。
「あ、えっと学費は学校で行なわれる奨学金のテストでかなり免除になりますから、主にアルバイトは生活費を稼ぐ方で
お世話になってます。っていっても、その、新聞配達とかそういった類のもので」
「ってか、学費も生活費も出さないって一体どういう親なの?それほどお金がないの?」
「え、いや寧ろ」
有り余っているというか……。
馬鹿みたいにお金を稼ぐ能力に長けているのに加え、金銭感覚が庶民並み且つしっかりとしているあの人達が毎年
稼ぎ出している額は半端ではない。しっかり貯めつつ、必要なところに回していらない部分は例え自分達の分でも削り、
残った分はきちんと社員や部下達に戻す事をモットーとしている。
そのせいか、下からは大いに信頼され慕われていた。
また、会社だけではなく向こうでも毎年黒字で経済はとても潤っていた。今年のリストラ率は殆ど0だったという。
しかし、向こうでどれほど有り余っていようとそれが此方にこなければ意味がない。
「お金がなくないんならどうして出して貰えないの?」
美樹の質問は最もだった。
「あ……その、実は私が今通っている学校を続けるのを家族が反対してて」
「え?」
「その、もともと別の学校に入る予定だったんです。けど、そっちを止めて私、別の学校に入っちゃって……」
その学校に通い続けている限り、お金は出さない。
両親にそうはっきりと言われた。
但し、学校を辞めただけではお金は出して貰えない。
何不自由ない生活に戻るには、全てを捨てて家族の元に戻る必要があった。
しかし、蒼麗はそれが嫌だった。
自分の力で得てきたもの全てを捨ててしまう事はどうしても出来なかったからだ。
「まあ、そういうわけで今の学校に居る限りお金は出さないぞって……そういうわけなんです」
最後はあははははと照れ笑いする蒼麗に、美樹は静かに口を開いた。
「……聞いてもいい?どうしてその学校に入りたかったの?」
「それは自分の力で何かをしたかったからです」
別に、学校は何処でも良かった。
家族や幼馴染み達一家の支配がない場所であれば。
その名が強く染みこみ、その名一つで特別扱いされなければ。
優秀すぎる家族、優秀すぎる幼馴染み達とその家族。
彼らが行ない行なった輝く功績の数々に自分が押しつぶされると判断した時、自分はそこから逃げ出した。
「私が通う予定の学校は、私の幼馴染み達が通っていました。けど、その幼馴染み達はとても優秀で……彼らの知り合いならば
当然出来るだろうという色眼鏡で私を見てきました。また、私の両親や幼馴染み達の両親達も凄く立派な人で……その娘、または
知り合いの娘ならば凄い人物だろうと勝手に思われました。元々、昔から何かが出来れば誰誰の娘なのだから当然、出来なければ
誰誰の娘なのに出来ないなんて……そうやって何時も見られていました」
通う予定の学校も同じだった。
蒼麗個人を見るのではなく、まるで優秀な家族や幼馴染み達の付属品のように見られた。
出来たら誰誰の娘だから、知り合いだから。出来なければあの人達の娘なのに信じられない。
それが酷く重く、苦しかった。
純粋に出来たことわ褒め、出来なかったところを指摘してくれる人はいなかった。
「だから思ったんです。此処にいれば一生今のまま正当な評価はされない。ならば、家族や幼馴染み達のいない場所で
自分の力を試してみようって」
それはとても苦しいことだ。今まで、望まずとも特別扱いをされ、それに慣れていた自分に果たして出来るだろうか?
けれど、蒼麗は実行した。
「最初は大変でした。誰も私を知らない場所。今まで親の庇護の元にいたのに、全てを自分でやらなければならない。
親の名前を使わないので、全ての責任が自分にかかってきました」
その上、家族や幼馴染み達にも猛反対され、何度も邪魔をされた。
自分の夢を語り、説得するのに費やした時間の日々と辛さを思い出し、蒼麗は懐かしむように遠い日々に思いを馳せる。
「けど、今思えばそういう事も私にとっては自分を成長させてくれる大切なものだったと思います」
全てが手探りであった。けれど、何度も叱られて、拒絶されて、それでも頑張って来た日々は自分にとってかけがえのないものだ。
「まあ……みんなは馬鹿だって言うんですけどね」
本来自分が手にする多くのものを捨てた自分を嘲笑う者は多い。
馬鹿にし、誹謗中傷した上、罵倒する者だっている。
しかし、自分は後悔していない。そうしなければ、あのまま親元にいれば自分は確実に潰れていた。
大した才能もない、寧ろ落ちこぼれな自分が優秀で天才揃いの人達に囲まれるのは本当に苦痛でしかなかった。
それが大好きで仕方ない家族や親しい者達であれば余計にその苦痛は増していく。
何時も比べられて、比較されて、そうしてお決まりの言葉は「あの人達の娘なのに、幼馴染みなのにどうしてこうも出来が悪いのか」。
「落ちこぼれのくせに側にいられるなんて許せない」。この他にも色々あった。
美しい人には美しい人が側に、優秀な人達には優秀な人達が側にいるのが当然。
落ちこぼれはお呼びではない。
周囲は、蒼麗が自分の家族や幼馴染み達の側に居る事を、近づくことを大いに嫌った。
蒼麗という異分子が自分達が望む理想――美しく聡明で天才と名高い蒼麗の家族や幼馴染み達に
入り込むことが許せなかったのだ。
おかげで、大いに苛められた。
しかも相手は集団で蒼麗が一人の時を狙い、時には洒落にならない事まで笑いながらやってきた。
蒼麗が幼馴染み達と遊んでいれば、彼らを連れて行ってしまった時もある。
どうして自分だけがこんな事をされるのか?
もっと自分が優秀だったら……何度そう思った事か。
そうしている内に、家族や幼馴染み達の事まで嫌いにだってなりそうだった。
けど、大好きだったから……嫌いになりたくなかったから、隣に立っても見劣りしないぐらいになりたくて……
その為の力をつける為に家を出た。
「でも、他の人から見ればやっぱり馬鹿なんですね」
人によって価値観は色々。
そう思われるのも仕方ない。
しかし、美樹は言った。
「そんなこと無いわ」
「え?」
「私も一緒だから」
「一緒?」
「そう。私も出来の良い家族や姉妹に囲まれた落ちこぼれなの」
そう言うと、美樹は何処か辛そうに、けれど何とも言えない複雑な表情で話し始めた。
「私の家はね、昔から続く旧家で、現在は結構大きな会社を幾つかも経営してるの」
所謂勝ち組。それが自分の家だ。
「昔はそうでもなかったけど、私の祖父の時代に会社が大きく急成長し、それを受け継いだ私の父が母と共にその会社を
更に大きなものとしたわ。経営している会社は何処も黒字経営。また、社員とその家族をとても大切する上、取引先の会社が
困っていれば損得なしでの融資も行なって」
特に小さな町工場に小さな会社に惜しみない援助をする事から、その人望は高かった。
「普通なら、自分達をよく見せようとしての計算ずくと思われるけど、うちの両親。仕事は厳しいけど、困っている人には
とても優しくてね……だから、同業者達にも凄く信頼されてるの」
何かあっても、貴方の為ならば。そう言って、逆に困れば助けに来てくれる。
「凄いんですね……」
「ええ。しかもうちの両親って、昔はミスコンで数々の優勝をかっさらった美男美女で今もその容姿は衰えないし、
また頭もよくて運動も出来て商才も人柄も良くて………本当に凄い人達なの」
美樹は何処か辛そうに笑った。
「けど、それ以上に凄いのは私の姉と妹よ。どちらも凄い美少女な上、頭も凄く良くて運動も出来て……華道や茶道、
礼儀作法とか色々習ってもすぐに極めちゃってさ。知ってる?二人とも全国でも名門と名高い藤の宮学園に通ってるの」
そこは、入試及びその後に行なわれる全国模試でもSS70をキープする超難関校。
通っている生徒の多くは良家子女の子供達が多いお嬢様お坊ちゃま学校でもあった。
「けど、私だけは普通の学校でね」
勉強も運動も他の人に比べれば平均。姉や妹に勝るものどころか、他の人と比べても何一つ勝る者ものはない。
「だから、別の意味で有名なの」
姉や妹は聡明で文武両道な美少女として。自分はこれといった特技のない落ちこぼれとして。
「私って何も出来ないからさ……容姿も良くないし」
「美樹さんは綺麗だと思います」
美樹の自己評価に、蒼麗はそう告げた。
確かに美樹の容姿は美少女と言い切るには少し……いや、結構足りない。
肌は白さとはほど遠く、鼻の辺りには雀斑が散り、体型もぽっちゃりとして少しばかり標準体重を超えていた。
人々が理想とする一般的な美少女とは到底言い難いだろう。
が、それでも彼女からみなぎる明るさと元気さ、そしてその生命力の宿った美しい瞳はそんな容姿の造形美を補ってあまりある。
また、今はきつく後ろでお団子にしたその黒髪は、きっと気付く人は少ないだろうがとても艶やかで綺麗だった。
少し髪型を変えて服装も明るいものにすれば、十分にそこらの人に太刀打ちできる。
しかし、美樹は蒼麗の言葉をお世辞と思ったらしい。
「ありがとう、そう言ってくれるだけで嬉しいわ」
「お世辞じゃありません!!本当にそう思いますっ!!」
「蒼麗は優しいね。と、昼食がまだだったわね。はい、ちょっと冷めちゃったけど」
美樹が食事ののったお盆を蒼麗の前に置く。
そこには、美味しそうな御握りが二つと漬け物、そしてお味噌汁と野菜炒めがのっていた。
「うわぁ、美味しそうvv」
この三日間で分かったが、美樹はかなりの料理上手である。
朝食、昼食、夕食。皆この部屋で頂いたが、どれもこれも美味しかった。
「いただきま〜〜すvvあ、これタラコの御握りですね」
「もらい物のものがあったから、作ってみたの」
「凄く美味しいですvv」
「どういたしまして♪今日の夕飯は何食べたい?」
「そうですね〜〜……って、今日は私も作っていいですか?」
「蒼麗も?」
「体調も良くなってきましたし、少しは恩返しがしたいですから」
「そんなこと気にしなくていいのに。私こそ楽しかったわ………何時も一人が多かったから」
「………あの、そういえばこの三日間、美樹さんの親御さんに全然挨拶出来なかったんですが」
本当は最初の日に挨拶をしようと思った。仮にも部外者である自分が此処にお世話になっているのだ。
挨拶は基本である。しかし、美樹はそんな事は後でいいからとだけ告げてきた。
おかげで、蒼麗は未だに美樹の家族に挨拶をしていなかった。
それだけではない。
トイレやお風呂の時に少しだけ部屋の外に出てしったが、これだけ広い屋敷にも関わらず使用人は一人も見えなかった。
気配を探っても、此処には自分と美樹しか居ない。
すると、美樹がぽりぽりと頭をかきながら口を開いた。
「……とね、実は私の両親――姉や妹も今、ちょっと使用人を連れて旅行に出かけてて」
「美樹さん一人を残してですか?」
「う〜〜ん、まあね。本当は私も行くはずだったんだけど、ちょっと塾との兼ね合いが難しくて」
塾を休めば簡単だが、はっきりいってそこまでしたくないのが本音だった。
しかし、今回の旅行はこの家に居る十数人の使用人達の慰安旅行もかねて居る為、此処には美樹一人だけが残されてしまう。
その事に今回残ると言ってくれた使用人達も居たが、美樹の強い説得により強引に行かせた。
この家はセキュリティーもしっかりしているし、なんら一人でも問題ないからと。
それに、もしどうしてもと言うならば誰か友人の家に泊まればいい。まあ――結局それはしなかったが。
「けど……」
「いや、悪いのは私。この五連休には前々から旅行に行くって話だったのに、私が勝手に塾の講座入れたからさ。
私って頭悪いから、少しでもやらないとすぐに置いてきぼりなっちゃうの。姉や妹だとそうはならないんだけどね」
何せ、あの人達はこの前の全国模試でもそれぞれ三十位以内をキープしている。
「たいして勉強もしていないのにそう。うちの両親達もそんな感じだから……本当に、どうして私みたいなのが産まれたのかな」
本当は捨て子だったんじゃ……
周囲から聞こえてくるセリフ
本当はあの人達の娘じゃないとか、姉妹なのに違いすぎるとか、実は貰い子だとか
何度戸籍を確認した事だろう。
しかし、そこには養女の二文字はどうやっても見つからなかった。
せめて、本当に養女でさえあれば自分は此処まで苦しまなかったのに……。
「だから、そんなに気にしないで。今日は五連休の四日目。家族が帰ってくるのは明日の夕方だから、その時に私から説明するわ」
「あ、その時はご一緒します」
「蒼麗ってかなり律儀な性格よね」
「あ、何かよくそう言われます……」
「あら、蒼麗の周りの人達も私と同意見か〜〜。そうだ、ご飯食べ終わったら家の中を案内するわ」
「え?」
「この三日間、洗面所やお風呂以外はこの部屋の中に閉じこもってたし。体力作りもかけて。うちの家、広さだけは
馬鹿みたいにあるから、ちょっと歩くだけで良い運動になるわよ――あ、それとももう帰らなきゃダメかな?」
それまでとは一転、美樹が不安そうな顔をする。
「えっと……いえ、大丈夫です」
「そう?良かった〜〜vvあ、居たいだけ居ていいからね」
「はい、有り難うございます」
そうしてニコニコと微笑んだ蒼麗だったが、内心は今後の事について頭を抱えていた。
早く帰らなければ皆が心配する。けれど、美樹にこう言われてしまえばそれを押しのけて帰るというのも気が引けてしまう。
(けど、みんなも心配してるだろうな〜〜)
この三日間、何の連絡も入れていない。きっと大いに心配している筈だ。
蒼花は泣いてないだろうか?
とにかく、連絡だけでも入れておいた方がいいだろう。
そう決めると、蒼麗は美樹に促されるままに食事を再開したのだった。