入学式は波乱に満ちて-6




美樹の両親は思ったとおりの人達だった。



美樹が自室に立てこもった翌日。何時までも部屋に立てこもっていられないと言うことで、意を決して朝食の席についた。
勿論、蒼麗も一緒に連れて行かれた。何度か固辞はしたのだが、吹けば吹き飛びそうな美樹の様子に最終的に折れてしまったのだ。


そうして、席に着いた蒼麗はそこで初めて美樹の両親を見た。


(やっぱり凄い美形……)


とても3人の子供がいるとは思えない。


父親は確か今年で35になると聞く。しかし、全くそうは見えなかった。
切れ長の瞳とすっきりとした鼻梁。日に焼けた健康的な肌は見るからに瑞々しく張りと弾力性に富んでいた。
長身の体は服の上からでも分かるほどにガッシリと逞しく、均整の取れたその肢体はいっそ一つの芸術品とさえ言っていいだろう。
少し気むずかしげだが、その涼やかな美貌は麗しく、非常に類い希な美しさを放っていた。


一方、母親の方は見るからにたおやかで清楚な上流階級の奥様といった感じだった。
華奢且つ緩やかに描かれた顔の輪郭。知性を思わせる輝きが宿っている大きな瞳。
手入れのされた長い髪は艶やかに背を流れ、白い肌はまるで極上の絹の様な手触りを思わせた。
身長は女性にしては少し高めだが、しなやかに伸びた手足と豊かな胸、そして括れた腰とそれこそ一流のモデルすら足下に
及ばない魅惑的な肉体美を誇っていた。
また、成熟した女性が纏う濃厚な色香は今も男達の情欲を激しくかき立てるに違いない。


但し……機嫌が悪いせいなのか、それとも二人とも他者に怜悧な印象を与える美貌の持ち主なせいなのか、
とても冷たい印象を蒼麗は受けた。


「君が……美樹が拾ってきた子か?」


「は、はい」


昨日と同じ、威厳と存在感に満ち溢れた声。
彼が、人の上に立つものだと言うことを一瞬にして理解させるにはこれほど有効なものはないだろう。
また、本人からにじみ出るカリスマ性が、統治者としての彼の存在をより強固なものとしている。


「それで、何時出て行くつもりだね?」

「え?」

「だから、いつまで此処にいるのかという事だ」

「お父様っ!」


美樹が非難の声を上げる。しかし、美樹の父はそれに構わず言葉を続けた。


「見たところ、もう体の調子も良さそうだが、それならもう家に帰った方がいいんじゃないか?」

「お父様、蒼麗に失礼ですっ!」

「美樹、貴方は黙ってなさい」


美樹の母がピシャリと娘を窘める。横に座っていた水香と光奈もうんうんと頷いた。


昨日の事があって懲りたのか、水香と光奈は席についてから美樹と一切口をきかなかった。
時折此方をチラ見した後は、黙々と食事を続けていた。


「えっとですね………もう少しだけ此方に居させて貰おうかと」


すると、美樹を除く全員から一斉のキツイ視線を向けられた。


ヒィィィィィっ!!


その眼差しは、凶暴な野生の動物すら一瞬にして心臓麻痺に陥らせるだろう。


「あ、あの……」


本当に厚かましい娘ね………そんな心の声が聞こえてくるようだった。
美樹の為に此処に残る。それは生半可な気持ちでの事ではなかったが、その迫力の前にはそんな意気込みも少しばかり萎えそうになる。


(ってか怖いよぉ……)


下手したら、うちの家族より怖いかも知れない。


「ごちそうさまでした。蒼麗、部屋に戻りましょう」

「美樹、待ちなさい。まだ話は終わっていないわ」


美樹の母が呼び止める。


「私達の事は気にしないで下さい。蒼麗の事は私が責任持って面倒見ます。だからほっといて」

「美樹っ!!」


父親の怒りに一度は足を止めるが、すぐに美樹は蒼麗を立ち上がらせるとそのまま食堂を出て行った。







「ごめんね、相変わらず失礼な家族で」

「え、いや、そんな気にしないで下さい!私こそ、強引に居座ってるんだし」

部屋に戻ってすぐ、美樹の謝罪に蒼麗は思いきり顔の前で両手を振って否定した。

「ありがとう、優しいね蒼麗は」

「そんなことないですよ」

そうして微笑む蒼麗に、美樹も笑いかえした。

「さてと、私はもうすぐ学校に行かなきゃならないけど……蒼麗をこの家に一人で残しておくのは不安だわ」

「私のことは気にしないで下さい」

「そう?なら……って、ちょっと待って」

「はい?」

「忘れてたけど、蒼麗って学校の方は大丈夫なの?無理に引き留めたけど、もう連休は終わったし、学校始まっちゃうんじゃない?」


今頃気付いたのか………

いや、それについて特に指摘しなかった此方にも非がある。


しかし、蒼麗は笑顔のまま答えた。


「えっとですね、実はうちの学校今工事中で」

「え?」

「古い校舎が何時崩れるか分からないから工事してたんですよ。でも、それって凄く煩くて時間もかかるから、いっそのこと工事が終わるまで
休みにして、工事後に学校を始めようって。但し、その代わりとして夏休みや冬休みが大幅に減少してしまうんですけどね」

「そうだったの……じゃあ、いつから学校なの?」

「5月からです」

「そっか……じゃあ、5月まで一緒に入れるかな」

「え?」

「あ、うん何でもない!それじゃあ私は学校に行ってくるけど、その間蒼麗が一人になっちゃうのよね……」

「あ、なら美樹さんが帰ってくるまで外でもうろついてますよ」

「そう?ごめんね。あ、けど町中うろついてると学校サボってるとか思われないかな?!」

「その時は、学校の方に連絡して貰えば大丈夫です」


実際には、そうならないように上手く振る舞うが……。
蒼麗はさりげなく自分のポケットに手を忍ばせ、それが中に入っている事を確認する。
これがあれば、町中をうろついていても捕まることはない。


「じゃあ、帰りに待ち合わせしましょう。後、お昼ご飯代として、はい」

「え?あ、頂けませんこんな大金っ!!」


美樹から1500円ばかりを渡された蒼麗は慌てて返そうとする。
しかし、美樹は絶対に受取らなかった。

「いいの。それに、蒼麗お金とかって持ってなかったでしょう?」

蒼麗を助けて着替えさせた時、蒼麗は特にこれといったものは何もなかった。
それこそ、本当に身一つといった状態だったのだ。

「その渦巻き眼鏡を売るとかなら少しはお金になるかもしれないけど」

「これはダメですっ!!」

勝手に売る算段をたてられかけ、蒼麗は慌てて眼鏡をかばう。
これは何としても外せない大切なものなのだ。

「ぷっ!あははははは!冗談よ」

そう言って笑う美樹に、蒼麗はホッと息を吐いた。


向こうでも滅多に外さないこの眼鏡。
今回美樹に拾われた時に外されなかったのは本当に幸運と言っていいだろう。

美樹は自分を拾った際、いくらでもこの眼鏡を外せる状況にあったにも関わらず一度も外す事はなかった。
聞けば、何でも自分が眼鏡を必死に抑えていたということ。といっても、所詮は意識を失っている相手だ。
強引に外しにかかれば外せた筈。しかし、美樹はよほど眼鏡を外されたくないのだろうとすぐに察して、眼鏡を外さずに顔を綺麗に拭き、
更に服を着替えさせてくれた。


仕方ない状況とはいえ、それでも眼鏡を外さずにいてくれた美樹には本当に感謝である。


「それじゃあ、途中まで一緒に行きましょう」


待ち合わせ場所も決まって時計を見ると、そろそろ学校に出発しなければ間に合わなくなる時間となっていた。
姉や妹とは違い、車ではなくバスを使って登校する美樹は急いで鞄に道具を詰め込むと、蒼麗と一緒に玄関へと向かった。


途中使用人達とすれ違うが、美樹は顔を合わせずにそのまま家を出た。





「それじゃあ、後でね」


家から数十メートル離れた場所にあるバス停から乗る予定のバスの姿が見え始める中、美樹はそう言った。


「うん、それじゃあ勉強頑張ってきて下さい」


ニコニコと微笑みながら、美樹に手を振る。
それは、美樹の乗ったバスが見えなくなるまで続いた。


「さてと、時間まで何してようかな」


美樹とは夕方の5時ごろに駅で待ち合わせとなっている。
それまでの間、何をしていようか……。


「人間界は久しぶりだしな〜〜」


5年ぶりだろうか……。

それは自分達にとっては瞬きする時間よりも短い時間だが、普通の人間にとっては長い年月だ。


目的もなく道を歩き出すと、数人の人達とすれ違う。
サラリーマン風の男性や高校生、それに小学生や子供をつれた主婦など。
よくよく見れば、流行は変わったらしく、髪型などのファッションも大きく変わっていた。


数十年前などはアフロなどが流行ったり、長いスカートをずるようにして歩いていたというのに。
それに、まだ着物を着ている人もおおかった………いや、それは40年ほど前か。

「街のほうにでも行って見ようかな」

流行の流れを知るには、中心である街を見ればいい。

そうして蒼麗はポケットの中を探り一つの指輪を出した。
それを指に素早くはめる。

石の指輪。といっても、金で出来ているそれは、特殊な力が宿った代物だった。
その力とは、簡単に言うとこれを嵌めている間は相手に特に注目されずそこら辺にある電柱と同じように気にされなくなるというものだ。


はっきりいって自分の外見は此方で子供である。
しかし、今この時間は自分ぐらいの年頃の子は学校に通っているはず。
なのに街をウロチョロしていれば間違いなく補導されるだろう。


それを防ぐ為に、そういった人達の目に付かないようにするのにこの石の指輪はうってつけのものだった。
身一つで此方に投げ出された自分だが、幾つかこういったアイテムだけは手元に残っていた。正に不幸中の幸いである。

とはいえ、此方ではあまりこういったこの世の万物に値しないものを使うことは禁じられており、そう長くは使用できないだろう。


「まあ、此処にいる少しの間なら大丈夫でしょう」


それにもしかしたら、もしかしなくても余り此処には長い出来ないと思う。
美樹には一緒に居ると言ったが、今頃は自分が元居た場所では突然居なくなった自分を探している筈だ。


此処に来て1週間近く。もうそろそろ見つかってもおかしくはない頃だ。
いや、寧ろもっと早くに見つかってもおかしくはない。


あの人達はそんなに甘くはない。



そして――恐ろしいまでに優秀で有能、そして強力な力の持ち主達なのだから



あの人達に敵う力の持ち主は自分のいる世界では居ない。


他の世界でも数えるほどだ。



失せ物も捜しものも今まで探して見つからなかった事はない。
その殆どをその日のうちに見つけ出している。



本気になれば、あの人達に探せないものなんてない



だから、きっと自分もすぐに探し出される。
例え今見つかって無くても、すぐに――



「けど、迎えが来ても帰らないわ」


美樹と約束した。暫く一緒に居ると。
だから、向こうと連絡も取っていない。いや、取ろうと試みない。


きっと、連絡を取ったが最後すぐに連れ戻される。

それは皆のことを考えたら当然の事かもしれない。
しかし、それでは美樹を一人ぼっちにしてしまう。


私はそれを望まない



だから、此方から連絡はしない。
どうせ見つかるならば少しでも時間を稼いでみせる。










物心付いた頃には、既に私は人々の中心に居た。
美貌、頭脳、潜在能力、そして統治者に相応しい高い素質とあらゆる才能を次々と開花させていった私に、人々は集まり羨望と尊敬の眼差しを向けた。
誰しもが私を褒め称え、その場に傅き頭を垂れる。


しかし、周囲がそうすればそうするほど、時同じくして私から大切な人は離れていった。




『姉さま、遊ぼう!!』

そう言って姉の元に行くと、困ったような顔をされたのは何時からだろう。

『ごめん、蒼花。私、友達と遊びに行くって約束してるの』

そう言ってやんわりと断られることが多くのなったのは………一体何時からだったのか。

『嫌!絶対に嫌!!お姉様は私と遊ぶの!!』

自分を置いて友人と遊びに行こうとする姉を必死に止めた。
滅多に会えない姉なのだ。会えるときは常に一緒に居たかった。


それは、他の幼馴染達も同じ。

誘いを断られ、自分達以外の子と楽しそうに遊ぶその姿に誰もがショックを受けつつも、強引に割り込み私の姉の注意をひきつけようとした。


しかし、そんな姉との大切な時間に何時も邪魔が入った。
姉と遊んでいた者達が、私の外見に目がくらんでこっちにまとわり付いてくるのだ。


友達になろう、一緒に遊ぼう


この子と居れば自分にもプラスになる


こんな綺麗な子とお知り合いになれれば皆にも自慢できる


何としてでもお近づきになりたい


友達になろう、一緒に遊ぼう



あれほど姉と仲が良かったのに、姉の事なんてすっかり忘れて此方に来た


そして気付けばまた姉は居なくなっていた。


追いすがる姉の元友人だった人達を置いて姉を探しに行った。
元々自分には関係ない者達の事など構う気も無い。





姉はすぐに見つかった。とても優しく自分を迎えてくれた。



けれど、そういった事が毎回毎回起きている内に、中々姉の姿を見つけられなくなった。
居なくなってしまった姉を探してあちこちを走り回った。


しかし、何時もはすぐに一人で遊んでいる姉を見つけられるのに、回数を重ねるごとに姉は見つからない。

そして見つけるごとに姉は変わって行った。



明るく社交的な性格は引っ込み思案に



何時も浮かべていた笑顔は影を潜めた



呼んでも、遊びに誘っても、何時しか姉は応じなくなり



終には私達から離れて行った



会いに行っても、電話をしても居ないこともしばしばで



そうして姉の姿をどんどん見つけられなくなっていった




そしてあの日、ようやく見つけた姉は







『今の私にとって星家の名も姫としての地位も、ううん、全部がいらないものなんです。だからみんな捨てます』






姉の顔は何処か晴れ晴れとしていて、それでいて憎らしかった。



そして姉は居なくなった。






机に伏せていた顔をあげて瞼を開ければ、既に辺りは暗くなっていた。

何時もは広い自室に満遍なく明かりを取り入れる為の大きな窓からは、沈む夕日の赤に紫を混ぜた紺碧色の空の色が差し込んでいる。


誰も入るなと厳命していた部屋には当然明かりもつけられてはおらず、また暖も取られていない為少し肌寒かった。
だが、自分の心はもっと冷たく、傷ついたそこからは血が噴出していた。


「懐かしい夢ね」


音も無く、それでいて恐ろしいまでに優雅な足取りで窓の前に立ち、蒼花は呟いた。


未だ、蒼麗は見つかっていない。消えてからもうすぐ1週間になる。
皆全力で探しているが、驚いたことに蒼麗の気配は全く感じられなかった。


冥界、魔界、精霊界、仙人界と数多の世界にも連絡して秘密裏に探してもらっているが、色よい返事は聞けなかった。


刻一刻と経過する時間。
反面成果の上がらぬ現状に上層部が苛立つが、それ以上に両親や弟は、幼馴染達とその家族の焦りと怒りは凄かった。


それは、まるであの時のようで………


そう………


あの時も行方が知れなかった


誰にも内緒で出て行った姉はどうやってか、追っ手の目をかいくぐり、自分達にすら気配を掴ませずに姉は数年もの間逃げ回った。


その時のことは、今でも語り継がれている。


最強にして最恐。
優秀すぎる頭脳と無尽蔵ともいうべき潜在能力、そして天才的な戦闘能力と技術をを持つと共に、あらゆる武術と術系に通じ、
それこそ狙った獲物は決して逃がさず仕留めて来た自分達が探し出せなかった――その唯一の存在として。




「姉さま……何処にいらっしゃるの?」



一体姉は何処にいってしまったのだろうか……。


無事だという事だけは解かっている。
もし、姉に何かあれば双子の自分も無事ではいられないから。


だから逆に言えば、何も無いということは姉は無事だという事だ。


しかし、それも何時までなのかは解からない。





一刻も早く姉を見つけなければ……。





「その為にはどんな事だってするんだから」


ゾッとするほど艶美な笑みを浮かべ、白魚の様な指で窓ガラスをなぞる。


本当ならもっと早くに姉を探しに行きたかった。
しかし、それは全て自分の幼馴染にして筆頭護衛の地位に付く青輝によって阻まれ、挙句に結界の張られた
私室に押し込まれて見張りまで立てられた。


全ては自分の暴走を止めるため。それと共に、無防備に外に出る事によって刺客達にチャンスを作らせないため。
自分の命を狙うもの、また主の花嫁としてこの身を狙う者達にとっては、宮殿の外に自分が出るのは願っても居ないこと。
強力な結界が張られ、到る所に目と耳がある宮殿に比べれば、外の方は少しばかり隙が出る。
そう思うのだろう。実際には、その外は中以上に安全対策が徹底されている。それに自分自身、そこまで弱くはない。

だが、愚かな刺客達とその主達はまるで鬼の首を取ったかのように仕掛けてくる。


本当に忌々しい者達



けれど、誰にも邪魔はさせない


氷のリンクで美しく舞うスケート選手のように、指が滑らかな軌跡を描かれていけば、なぞられた部分が青白い光を放つ。
そして最後の軌跡が描かれると、それは一つの不思議な紋様となって窓ガラスに浮かび上がった。


蒼花はゆっくりと紋様の中心に手をおく。


タプンと、まるで水の中に手を入れたかのような感触と共に、手のひらに力が集まる。

           . . . . . .
「さあ、今からは貴方が”蒼花”よ」