入学式は波乱に満ちて-7



ぐ〜ギュルルルル


お昼も回った頃。
人々で賑わう駅前通に、人々のざわめきや車の音とも違う大きな音がなった。

人々が音の発信源を探せば道の真ん中でお腹を抱え込みながら歩く少女が居た。


「お、お腹減った……」


クスクスという周囲の笑い声も耳に入らないほどに空腹となったお腹は、いっそ吐き気さえこみ上げてきそうだった。
たぶん、消化する物もないのに胃液だけが出てしまっているせいだと思うが……。

立ち止まり、ちらりと近くの時計を見るともう1時近い。
周りを見れば、人々もお昼休みらしく近くのお店に入っている。

蒼麗はポケットの中を探り、貰ったお金を見る。

……………仕方ない。


蒼麗は踵を返し、先ほど素通りしたスーパーへと向かった。



「いらっしゃいませ」

太陽の日差しから一転。
人工の明かりに照らされた店内に入ると、自分に気付いた店員達が次々に「いらっしゃいませ」と声をあげる。
それに笑顔で応じながら、蒼麗は店内の奥へと向かった。
目的は、お弁当の置いてあるお惣菜売り場。
途中、レジ近くで特売のチラシを取って目玉品をピックアップしつつ、またお昼ということでそちらに集中する客の隙間を潜り抜けていく。

この売り場はかなり力を入れているらしい。
沢山の美味しそうなお弁当が、しかもかなり安く売られていた。

「え〜と、どれにしよう」

日替わり弁当350円。ネギトロ巻き8個入り450円。えび重398円………。

「………おにぎり弁当、250円」

チーンと、頭の中で繰り広げられていた金勘定が終わる。

おにぎり2個に、から揚げと卵焼き、コロッケ、そして漬物が入ったそれを手に取る。

「後は飲み物だよね」

お弁当片手に今度は飲料水売り場に向かい、そこで77円のペットボトルのお茶を手に取る。

よし、これでかなり出費が抑えられた。

そうして嬉々としながらそのままレジへと向かい清算を無事に終えると、店を出ようとする客に混じって外へと向かった。



スーパーから歩いて10分ちょっと。
綺麗に整備された花壇と水しぶきを上げる噴水がある市民の憩いの場でもある大通りの一角に辿り着くと、
蒼麗はすぐ近くのベンチへと足を向けた。丁度目の前に噴水を臨むばかりか、後ろは緑生い茂る木々によって丁度そこは
日陰となり絶好の場所となっていた。

「よっこらしょっと」

少々おばさんじみた感じでベンチへと腰を下ろした。
横にお弁当とお茶の入った買い物袋を置いて背中を伸ばし、腕を空へと伸ばして大きく伸びをする。
そしてゆっくりと力を抜いた。

噴水を挟んで向こう側――木々の合間から見える車の列は時々止まったりするも、比較的スムーズに進んでいた。
視線を動かせば、沢山の人が大通りを行き来していた。ツアーガイドを先頭とした観光客の集団、学生達、
親御連れやサラリーマンやOL風の人達、そして日光浴を楽しむ老人などなど。

近くに焼きトウモロコシを売る出店からはこんがりと醤油の焼ける良い匂いが流れてきては、通りを歩く人達の足を止めさせる。

また、大空を優雅に飛ぶハト達がおこぼれを狙って降りてくると、人々は自分達の食べているトウモロコシを
幾つか地面へと放り投げてはその食べっぷりに瞳を和ませていた。


「此処はとても穏やかね……」

全ての属性が絶妙なバランスで調和を保ち、場は見事なまでに安定している。
きっと、此処の管轄者達はかなりの腕前なのだろう。
自然を司る精霊達と協力し合ってバランスを取るのは、とても大変な事である。
特に、こうして大勢の生き物が居ればそれはよりいっそう難しい。

大きく息を吸い込みゆっくりと吐き出すと、蒼麗は隣に置いた袋からお弁当を取り出し蓋を開けた。
そして割り箸を割ると、早速大好きな卵焼きを掴み口に放り込む。

「う〜〜んvv美味しい!!」

空は青く、太陽の光は温かい。そして何よりも美味しい空気。
目の前には噴水と花壇を望みながら日陰のベンチでゆったりとお昼ご飯。

自分はなんて幸せなんだろう!!

「あ、こっちの唐揚げも中々!このおにぎりも最高!!」

早食いはいけないが、それでもその美味しさに何時もより早くにお弁当箱を空にしてしまう。

「ふぅ……ご馳走様でした」

きちんと食事の挨拶をすると、蒼麗は空となった容器を再び袋の中に入れ、今度はお茶を取り出した。
蓋を開け、冷たく冷えている中身を喉に流し込む。

「あ〜、お茶が美味しいね〜」

そうして、再び視線を周囲に向ける。

こんなにゆっくりしたのは久しぶりの事だ。
何時もアルバイトやら何やらに追われて走り回る日々。特に、春休みは何時も駆けずり回り休む事自体殆どなかった。

「昼寝でもしようかな……」

ちょうど、このベンチに座っているのは自分だけだ。十分に横になれるスペースはある。
キョロキョロと辺りを見回すと、少しずつ人々が昼食を終え始めている。

今なら、いいかもしれない。

「よし、それじゃあ」

ペットボトルを袋にしまって横になろうとしたその時。

……………グ……


「はい?」


……………グ……クル


とても小さく、か弱い


まるで息も絶え絶えな老婆から発せられる様な力のない枯れた声のようだった


蒼麗は辺りを見回した。
右、左、後ろ、そして前。しかし、聞こえてきた様な声を持ちそうな人はいない。
耳を済ませるが、聞こえる範囲に居る人達の声を注意深く聞いても、誰もそんな声はしていなかった。
寧ろ、生気に満ちた力強い声をしている。


「……聞き間違いかな?」

もしかして幻聴だろうか?

って、私はまだそんな年ではない。
確かに結構生きてるけど、まだまだ若い方だ。いや、未成年の子供である。

それに、先ほどの音というか声?は耳にというよりは直接に頭に響いてきた気がする。

「一体誰だろう……」


もしかして、近くに誰か倒れて助けを求めているのだろうか?

となると、大変である。
見た所そういった人は見えないが、もしかしたら何処かの陰になっているのかもしれない。

たとえば、少し戻った場所にあるトイレの影とか。


蒼麗は、このベンチに来る途中も前を通った公衆トイレを方を見た。
ベンチから30mも離れていないそこの周囲は殆ど人もいない。
が、それも当然。トイレに行ったり手を洗いに行くなどの用事が無ければあまり行く必要は無いだろう。
そしてそのトイレの周辺は死角になる場所も多く、その近くで人が倒れれば気付かれにくい。


蒼麗は立ち上がり、取り合えず確かめに行くことにした。
居なければそれはそれでいいが、もしかして……。


そうして足を踏み出した時。


ズ ズ ン ッッッッッッッッッッ


「きゃっ!」

地面がドンっと大きく揺れる。
蒼麗の手からペットボトルが離れ、地面へと落ちるが揺れているせいで転がるというよりは跳ね上がっていた。
蒼麗の体がバランスを崩して後ろへと倒れていく。


ハト達が一斉に飛び立ち、人々の悲鳴が上がる。

地震

その言葉が思い浮かんだ時には、蒼麗は再びベンチに座り込んでいた。

実際に揺れていたのは数秒だろう。

たぶん、震度は3ほどだ。

「イタタタ……」

強かにお尻をぶつけ、蒼麗は痛みに涙を浮かべてゆっくりと擦った。
しかし、結構強めにぶつけたらしく、痛みはしばらく続く。

「また地震だわ」

そう言ったのは、近くのベンチに座っている女性。
持っていたお弁当袋を地面に落としたまま、不安そうに眉をひそめる。

「ああ、近頃多いな」

「日によっては1日に何度も起きるしね」

「震度は小さめだけど、気味が悪いわ」

「大地震の前兆とかじゃないよなぁ?」

「ちょっ!やめてくれよ、ウチはこの前新築買ったばかりなんだぞ」


次々と口を開く人々。
その場に立ち止まり、キョロキョロと辺りを見回しては被害を確かめているようだ。

だが、何ともないと解かると少しずつだが再びそれぞれの行動に戻っていく。

どうやら、話どおりこんな事は日常茶飯事なのだろう。
心配そうにはしていたが、パニックなどは起こしていない事からもそれは伺える。

蒼麗は、地面に落としてしまったお茶のペットボトルを拾い上げ土を払った。

「まぁ………心配ないよね」

ポツリと呟いた。
しかし、心の不安は拭えない。

というのも、地震が起きるその瞬間に何とも言えない奇妙な違和感を感じたのだ。
上手く言葉では言い表せない、けれど確かにあの瞬間、何かが変わった気がする。

まるで、全てを変えてしまう何かのスイッチが入ってしまったかのような……。

それが、今も蒼麗の心を揺らしてならない。



ザァァァァァと強い風が吹く。



それはあっという間だったが、蒼麗の中で燻る不安という名の火種に力を注ぐ。

「……もう帰ろう」

そう呟くと、蒼麗はお弁当の空の入った袋を近くのゴミ箱に捨て、ペットボトルを手に地下鉄へと向かった。






「美樹、午後の授業は中止だって」

友人の言葉に、美樹は顔を上げた。

先ほど起きた地震によって教室内にはクラス全員が集まっていた。
元々は皆思い思いの場所で食事を取っていたのだが、地震が起きた後の教室待機を告げる校内放送によって
それぞれクラスに戻ってきたのだ。

そして先生達の職員会議によって、ついさっき午後の授業が取りやめとなったらしい。
隣の教室から、歓声が聞こえる。向こうはこの後夕方までびっしりと授業が入っていたらしく、
突如ふって沸いたこの報告が嬉しくて堪らないのだろう。
因みに、自分達のクラスは午後は1時間しかないが、やはり嬉しいらしく遅れて歓声が上がった。


「美樹、この後はどうするの?」

「うん?ちょっと用事があるからまっすぐ家に帰るつもり」


というか、蒼麗との待ち合わせをどうしようか……。
このままでは本来の待ち合わせ時間よりも早くについてしまう。
しかし、連絡手段がない。


(仕方ない。一度家に帰って時間になったら迎えにいこう)


それに、もしかしたら蒼麗も地震で早めに帰宅しようとするかもしれない。


そう考え、美樹は帰る用意を始めた。