入学式は波乱に満ちて-8




西北線始発駅内地下鉄は地震の影響にも関わらず、何とか動いていた。



次々と地下鉄に乗るべくやってきた人々はその様子にホッと息を吐く。

電車の扉が開くと、待っていた人々が続々と乗り始めた。

が、そんな中何人かがふと違和感を感じる。


(あれ、なんで……)


中でも、一番先に気付いたのが一番最初に電車内に足を踏み入れた男性だった。

誰も乗っていないガランとした電車内。それは何時もの事だが、はっきりいって何かが違う。
強いて言うならば………


ぐわんと大きく視界がゆがむ。


(え?)


今のは………


だが、後ろから次々と乗ってくる乗客達に押されてそのまま中へと入っていく。

逆にホームからは人気がなくなり、終に最後の一人が電車へと乗り込むとドアがゆっくりと閉まって行った。


そして列車が発車する。


そのわずか5分後。蒼麗は始発駅から2つ目の地下鉄駅構内に辿り着いた。

「さてと、切符を買わなきゃ………って、嘘?!」


何と、切符売り場の電源が落ちており何の反応も示さない。
これでは地下鉄に乗れないしっ!


「どうしよぉぉぉ!」

「うん?どうしたんだね、お嬢ちゃん」


聞こえてきた声に振り向くと、制服を着た50代ぐらいの駅員さんが立っていた。


「あ、駅員さん。あの、切符が買えないんですけど」

「ん?ああ、今は地下鉄が止まってるからね」

「えぇ?!」

「一応、点検という事で1時間ほど止めることになったんだ。地震のせいでね」

「そうなんですか……」

「けど、別に此処までする事はないと思うがね。地震など何時もの事だしなぁ」

「あ、それさっきも聞きましたけど、そんなにしょっちゅうなんですか?」

「ん?お嬢ちゃんはこの街の住人じゃないのかい?」

「は、はい」

「いやぁ〜〜ねぇ、近頃こんな感じで小さな地震が多いのなんのって」

「いつからなんですか?」

「ん?今年に入ってからだな。酷くなったのは、先月の初めぐらいからだ。今の所は被害はそうないし、震度も小さいが、
噂では大地震の前触れなんて言われてる。まあ、それにしては街の人達も地震になれてしまったせいか、あんまり騒がないが」

「そうなんですか〜」

「まあ、そんなわけだから急いでるんだったらバスとか他のを利用した方がいい。待てるのならばこっちでもいいが」

「そうですね〜〜……うん、やっぱり待ちます。ヘタに別の交通機関を使うと迷う気がするんで」

来る時にも使用した地下鉄に乗るのが一番確実だろう。

「そうかい?ならそこのベンチで待ってればいい」

「はい、有難うございます」


そしてベンチの方に歩き出したときだった。



「おい、大変だぞっ!」



駅員室から別の駅員が此方に走ってくる。


「どうした?」


すると、走ってきた駅員が血の気の引いた表情のまま叫ぶ。


「始発駅で地下鉄を待っていた乗客達が消えたらしい!」

「はぁ?」

「何でも、始発駅ではすぐに連絡がいかず多くの客達が列車が来るのを待っていたそうだが、連絡を取るために
駅員がホームから離れた間に居なくなったそうだ!」

「上に上がったんじゃないのか?」

「いや、それはないそうだ!上の改札には何人かの客や駅員がいたが、誰も下から上がってきたものは居ないと言っている。
また、監視カメラにも写っていないそうだ」

「なら、何処に行ったんだ?!」

「解からん……一応、線路に下りていないかも調べたらしいが一人も見つけられなかったそうだ。一応、此方の駅に誰かが線路を
伝って来るかもしれないから監視するように連絡が入ったが……」

「ならすぐに行くぞっ!」


そうして走り出した駅員達はすぐに改札向こうのエスカレーターで下に降りていく。
後には蒼麗だけが残されたが、すぐに後を追いかける。

閉まっている改札を乗り越え、エスカレーターで下に下りた。


ホームには、駅員2人と蒼麗以外人気はなかった。


「どうだ、見えるか?」


ホームからかなり身を乗り出しながら、懐中電灯で線路の先を照らす駅員に、隣に居た駅員が声をかける。


「……いや、見つからな」


その時、微かな空気の動きを――風を感じる。
フォォォォォンという音を耳が捉えた。


「おい、これって」


まさか、列車が走ってるのか?


駅員二人の顔が青ざめる。
今自分達の体はかなりホームから身を乗り出している。
こんな状態で列車が来れば確実に死ぬ。


「おい、後ろに下がるぞっ」


止まっている筈の地下鉄。なのに何故音が聞こえるのかなど色々不思議な事はあるが、今はそれよりもとにかく
此処から離れなければ!

しかし、同僚は動こうとはしなかった。


「おい?」

「か、体が動かないっ」


同僚の言葉に駅員は目をむく。
そして気付いた。自分の足もまたまるで根が張ったかのように動かなくなっていた。


その間にもどんどん強くなる風と迫る音。


「ちょっ!冗談だろ?!」


その時、真っ暗な線路の向こうに微かな光が見える。


あれは……列車の光。


「く、くそっ!動けっ!」

必死に足を動かそうとするが、全く動かない。


駅員達の焦りは頂点に達した。





(何してるんだろう……)

懐中電灯で線路を照らしていた駅員達が突如喚き出した姿に、蒼麗は呆然とした。

必死に体を動かそうとしながらも叫ぶその姿は傍から見れば滑稽にすら感じられる。
しかし、蒼麗にはその必死な様子から何かが起きているに違いないと推測し、駅員達に駆け寄った。


「あの、大丈夫ですか?」


「うわぁぁぁ!電車が来るぅ!」

「た、助けてくれっ!」


極限まで目を見開き、大きく開けられた口からは絶叫が響く。
蒼麗は彼らの見ている方を見た。



何も無い。

「あの、何もいないんですけど」

そうして、蒼麗は二人の肩をポンっと叩いた。


その瞬間




「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ…………………あれ?」





悲鳴が止まった。
あれほど騒ぎまくっていた駅員達がキョトンとした面持ちでキョロキョロと線路に視線を向けた。


「あの……大丈夫ですか?」


首をかしげながら、蒼麗は駅員達に声をかける。


「………た、助かったのか?」

「何がですか?」


その時だ。


バチンっ!と蒼麗の手に静電気が走る。


「きゃっ!」


痛みと衝撃はそれほどでもなかったが、それでも突然の事に慌てて自分の手を庇うように胸で抱きしめる。


「い、一体何?」


と、蒼麗は目を見開いた。


駅員達が悲鳴を上げる。





「き、来たぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああっ!」





止まっている筈の地下鉄の線路の向こうに、列車の光が見える。

逃げ出す駅員達をよそに、蒼麗は見る見るうちに大きくなっていく光と見え始めたその車体を呆然としながら見つめた。


ゆっくりとその電車は構内に入ってきた。


カタン……カタン………


ギィィィィィィ!!


思わず耳をふさいでしまう様な凄まじい音が辺りに響き渡る中、電車は止まった。


「―――っ!」


思わず両手で口を覆った。
そうでもしなければ悲鳴が洩れていた。


たった今構内に入ってきた電車。
それは、血の様な真っ赤な錆に覆われ、まるで廃車寸前のような代物だった。
どれだけ放置すればこうなるのだろう。塗装ははげ、金属の腐敗もとても酷い。また電車の中はライトが壊れているのか真っ暗だった。


「何これ……」


呆然としていると、列車の扉が開いた。
ギギギィと自動ドアとは思えない軋み音が辺りに響く。

蒼麗は思わず身構えた。

だが、誰も出てこない。

しかし、確かに中に何かが居る。
それも、大勢。


ゴクリと生唾を飲み、蒼麗は意を決して中に入った。

その瞬間、電車内のライトが一斉につく。


その光の下にいたのは


「きゃあっ!」


サラリーマン風の男やOL風の女性、学生に親子連れ、老人などこの車両だけ見てもザッと数十人。
ある者は座席に、ある者は床に座り込み、ある者は天井を見ながら床で仰向けに倒れていた。


そんな彼等が唯一共通するのは、その瞳から生気が抜け落ちている事。
空ろな眼差しを浮かべながら皆ブツブツと呟いている事だった。



「一体……これは……」




「あはははははははははははははははははははははは!!」




突然一人の女性が叫びだす。


「みんな死ぬのよ!!みんなそうなるのよっ!!」


女性は狂ったように笑う。



「ねぇ私は狂ってる?私はおかしい?いいえ、おかしいのはこの世界!!この世界こそが間違ってる!!」



「あ、あの」



「この世界こそが間違ってる!!そう、だから間違いは
ガギグガギバヴジァァァァァァァァァァァァァァ



最後は最早言葉になっていない。
口から大量の泡を出しながら、その女性はその場に崩れ折れた。


「な、一体……何が……」


その問いに答える者は誰もいない。

だが、何時までもこうしてはいられないと蒼麗は急いで、まずはその女性を介抱するべく駆け出した。



カラン……



床に何かあったらしい。
駆け出してすぐに足が何かを蹴飛ばした。
それに気を取られ、蒼麗は振り返る。


赤黒い床の上に、不思議な形をしたものが転がっていた。


「……香炉?」


それは一見すると何処にでもある普通の香炉だった。
蒼麗は手を伸ばしてそれを取る。


………中に何か入っている。


振ってみると、中で何かがカラカラと音を立てる。
蓋に手をかけ、いっきに開けてみる。


「………ビー玉?」


といっても、それは普通のビー玉よりも2回りは確実に大きかった。
色は半透明を帯びた赤黒いものだったが、綺麗というよりは毒々しいまでの赤黒さで何だか不気味な感じだ。

しかも、言葉にするのも難しいぐらい奇妙で、嫌な感じがしてならない。


まるで禍々しい何かがそこから溢れ出てきそうな……。


だが、そのままにしているわけにも行かず、蒼麗はゆっくりとそれを手に取ろうと指を伸ばした。




パキイィィィィィィンっ!!




「え?!」


指先が触れた瞬間、何かが壊れる音が聞こえた。
その瞬間、あれほど禍々しかった赤黒いビー玉もどきから一気に嫌な感じは消えた。


「な、今の何?!」


呆然と呟いた蒼麗だったが、勿論答えはない。


唯、不気味なまでの静寂がその場を支配する。


が、それもつかの間の事。


「くすくすくすくすくすく……」


「あははははははははははははは」


「ひゃはははははははははは」


それまで黙っていた人達が思い思いに笑い出す。
それは壊れた笑いというのが一番相応しい。感情のない空ろな眼差しのままただ口から笑い声だけが洩れている。


滑稽、奇妙、おぞましい


いや、そんな言葉では収まりきらない


そんな中、蒼麗はどうすることも出来ずその場に立ち尽くしたのだった。






「お世話になりました」


美樹が頭を下げると、警察官が労わりの眼差しを浮かべる。


「いや、今日はゆっくり休ませてあげて下さい。きっとショックでしょうから……」

「はい、解かりました」


隣に立つ蒼麗を振り返り、その肩を優しく抱く。
蒼麗は何も言わなかった。その様子から、どれだけ蒼麗がショックを受け傷ついたのか想像に難くない。


「それにしても何ていったらいいか……せめてもう少し遅ければね……」


もう少し遅ければ、蒼麗はあんな現場に居合わせずに済んだかもしれない。

その言葉に、他の警察官達も表情を曇らせる。

自分達が駆けつけたとき、蒼麗は必死に乗客達を介抱していた。
狂ったように笑い出すもの。泡を吹くもの。微動だにしないもの。
中には失禁し、警察官達でさえ戸惑う様な人も居た。

しかし、蒼麗はそれに臆することなく必死に力を尽くした。それは、警察官達から見ても好感を持てるものだった。


そうして、乗客達を救急車に乗せた後、蒼麗は一生懸命に状況を説明してくれた。
はっきりいって信じられない事ばかりだが、実際にその現物たる赤錆だらけの電車を目の当たりにすれば信じずにはいられない。

だが、何よりも驚いたのはその電車の車体だった。
何故ならば……それは、あの魔の電車と呼ばれた曰つきのものだったからだ。
とっくの昔に撤去され、既にこの世にない筈のそれは、まるで忘れる事を許さないとばかりに自分達の目の前に現れた。


それだけでも恐ろしく怖かったが、それ以上に蒼麗の健気さに彼らは心打たれた。

呆然とする自分達を叱咤し、乗客達を助け出させた。


しかし、そうして全てが終わった後……蒼麗は緊張の糸が緩んだのか殆どしゃべらなくなってしまった。


そして気付いた。蒼麗も本当は恐ろしくて仕方がなかった事を。


家に帰るために、地下鉄に乗るために駅に来てしまった。
それ故にこんな惨事に巻き込まれてしまった少女に、警察官達も駅員達も心から同情した。

これからの人生を生きていく中で、少女の心が少しでも癒されればいいが……。

また、マスコミの方はその乗客の中にテレビ局のおえらいさんの子供が居たらしく、それを助けた蒼麗に好感を持ったのか
蒼麗の名を出さないようにと頼んだ警察の申し出を快く受け入れた。

更に、美樹が父親に直談判した事も効をそうしたらしい。
蒼麗の事を知った後、美樹は父親に蒼麗をマスコミから守るように頼み込んだ。
恥も外聞も捨て、土下座までした。
父親の持つ会社はマスコミにも大きな影響力を持っている。その影響力で、蒼麗を助けてと何度も。


そのおかげで、ほぼ完全にマスコミは封じ込めた。
でなければ、今頃蒼麗はマスコミの猛攻撃を受けていただろう。


「それじゃあ、気をつけてね」

「はい、どうも有難うございました。蒼麗、行こう」


美樹が手を差し出すと、蒼麗は少し戸惑いながらその手を握る。



そして二人は警察官達に見送られながら、家路に着いたのだった。





勿論、帰りは地下鉄ではなくバスを利用したのは言うまでもない。











因みに、蒼麗を置いて逃げたあの二人の駅員はしばらく入院生活を送ったらしい。