入学式は波乱に満ちて-9



ようやく夜明け初めようとした頃。
部屋の照明の光に、あの赤黒いビー玉もどきを翳す。


光を受けてキラキラと光るそれは、もはや唯のビー玉といってもいい。

いや、正確に言えば、これはビー玉ではなく力を持った宝珠。
但し、今は何の力も感じられないが。


目の前の机に足をかけ自分が座るキャスター付きの椅子をバランスよく後ろに揺らす中、蒼麗は光に翳していた宝珠を降ろした。


あの地下鉄の一件から既に3日。
マスコミは大きく騒ぎたて、今もその原因について真相解明が叫ばれている中、多くの学者や専門家が地下鉄で調査を続けている。
人々は恐れおおのき、一気に地下鉄の利用率は減った。また、地下鉄の駅には常に警官が配置され、またお払いまでされているとか。

因みに、蒼麗の名前は全くといっていいほどマスコミには取り上げられなかった。
警官や美樹の父親によって止められているせいだろう。


「にしても……これは一体何なのかなぁ?」


手の中にある宝珠をもう片方の手の指でつついてみるが、当然何も起きなかった。

やはり、もうこの宝珠からは力が失われてしまっているようだ。それがどういう類のものかは知らないが。


「聖なら分かるかもしれないんだけど……」


自分と違って、宝珠に詳しい聖なら答えを出してくれるだろう。
だが、此処に聖はいない。


だから自分の力で考えるしかなかった。







暗い漆黒の闇の中、それは木霊する。





………ダ



……ガ……タ………





モウ…グ…………レル





ワレラのカミガっ!!









ドクンっ!!


「っ!」


バサリと布団を跳ね除け、美樹は飛び起きた。


「はぁ……はぁ……」


大量の冷や汗が流れる中、大きく呼吸を繰り返す。


何だかとても嫌な夢を見た気がする。
暗くて、怖くて、とても嫌な夢を………。


しかし、その夢の記憶は形をなす前に消えていった。
美樹もあえて思い出そうとはしなかった。もし思い出せば自分にとって最悪な事が起きる……そんな予感がしたから。


まだ部屋は薄暗い。何時もの起床時間よりもかなり早い時間だろう。
だが、時計を確かめる余裕は……残念ながら今の自分にはなかった。


「な、何?」

息が苦しい。体が熱い。頭が痛い。

ようやく落ち着き始めた呼吸は一気に苦しくなり、体が熱を持ち始める。
一体何が起きたのか……。

「頭が……痛い……」

ズキズキとした痛みは、ズキンズキンと痛みを増していき、呼吸する事すら難しくなる。

「痛い……誰か……」


トクン


「え?」

小さな鼓動が耳につく。
それと共に、体の熱が一点に集中しその他の部分から急激に熱が失われていく。

熱が集うその一点………それは


美樹は静かに自分の下腹部に手を当てた。


「ひぃっ!!」


掌に感じた感触に悲鳴を上げた。
目を見開き、震えながら自分の下腹部を凝視する。


掌に感じた感触……それは、胎動。


「う、嘘でしょう?!」


自分はまだ中学生。知識としては習ったが、実際にそういう経験はないし、ましてや男の子とも付き合ったこともない。
しかし、美樹はなぜかそれが胎動だとわかった。

そしてその胎動を起こす何かの存在をはっきりと下腹部に感じた。


そう、今はまだ何もいない筈のそこに何かがいる事を

下腹部を何かが蠢くのを感じ、美樹は震え上がった。


「何、何、何っ?!」


一体何が起きているのか全く解からない。

これは夢なのか?


いや、夢だ。きっと自分は今も眠っているはず。


だからこれは全部自分の悪い夢なのだ!!


美樹は必死に布団を手繰り寄せるとそのまま中にもぐりこむ。


これは夢。何もかもが非現実!!


未だ続く確かすぎる胎動に脅えながら、美樹は心の中で必死にそう唱えた。
もはやパニックになっていたのかもしれない。


無意識のうちに心の中で叫ぶ。



早く、早く朝が来て!!!!!………と。


そして何時しか美樹の意識は深く沈んでいく。
次に起きた時には既に何時もの起床時間となっていた。
また、あれほど下腹部で感じられた胎動も不可思議な体の熱も感じられることはなく、その事は美樹一人の胸に収められることとなった。






「………………………あのボケはどうした?」

                                                        . . 
衣裳部屋にて、30分後に迫った会食に出席するべく女官達によって美しく着飾らされている蒼花に青輝はそう言葉を紡ぐ。


「あの、青輝様?それは誰の事で」


表情を消したまま、静かに怒りを露にする青輝に女官達は恐怖にすくみあがった。

元が美しく、まるで夜空に輝く月の様に神秘的で冷たく恐ろしいまでに整った美貌の持ち主である分、例え表情が変わらずとも
怒りのオーラでその恐怖は何倍にも倍増される。


が、中でも勇気ある一人が震える声でそう聞いた。

すると、青輝は視線をゆっくりとその女官へと移した。



「見た目に惑わされるているのならばまだまだだな」



蒼花付きとなる女官は数々の難関を乗り越えてきた超一流の人材ばかりだ。
教養を初め、礼儀作法や学術はもとより武術にも長け、更には多くの才能を花開かせている必要がある。
そうでなければ、あの厳しい選抜試験は勝ち抜けない。逆に言えば、それを勝ち抜けば身分や家柄がどうだろうと全く関係ない。
でなくとも、蒼花付き以外の文官武官その他の役職の者達もまた実力重視で勝ち残ってきた者達である。
自分の力で戦える者であれば、例え試験に落ちたとしても手厚く遇され、臨めば他の役職に付くことも出来る。
但し、少しでも努力を怠ればすぐに落とされてしまうが。

当然、蒼花付きの女官達も努力し、その能力は今も右上がりを続けていた。

だが、青輝はそれを軽く切って捨てた。


「それはどういう事でしょうか?」


女官がそう言った時だった。

                      . .   
美しく着飾らされ、今まで無言だった蒼花が青輝に襲い掛かる。


「蒼花様っ?!」

「いい度胸だ」


誰もが聞きほれる美声に何の感情もこめず、青輝は眼前に迫った蒼花に動じることなくその腹部に拳を叩き込んだ。
女官達が悲鳴を上げる。


本来、命をかけて蒼花を守るはずの青輝の暴挙に信じられない思いがこみ上げる。


しかし、次の瞬間女官達は目を見開いた。



青輝に殴り飛ばされた蒼花が床に転がると同時に、その姿を別のものへと変えたからだ。



美しい七色の光を放つ鳥に。



「そ、蒼花様?!」



この世の物とは思えない七色に輝く翼を持つ鳥は、嘴から尾まで完璧な造形美をしていた。
体長は人間界に居るオウムより1回り大きいぐらいか。苦しんで咳き込む鳴き声さえも美しかった。


「やっぱりお前か――『守珠』」


『お、お主……いくら妾とて今のは三途の川を見たぞ!』


激しく咳き込みながら、何とかそれだけを次げたのは『守珠』と呼ばれたあの七色の光を放つ鳥。
その美しい瞳に涙をにじませながら、青輝を見上げた。


しかし、同族ならば異性同性問わず魅了するその上目遣いも青輝には全く効かなかった。


「確かお前は実家に帰っている筈だったが何故此処に居る」


『それは勿論私の蒼花に呼ばれたからだ』


『守珠』は蒼花命を世界の中心で声高に叫ぶほど蒼花が大好きという思考の持ち主だった。
青輝としては一度その頭を掻っ捌いて調べてみたいほどに不可思議な相手である。
まあ、自分の契約主を好きでもなければそもそも契約自体しないだろうが。


「へぇ?それで、蒼花が抜け出すのを黙ってみていたというわけか」


『ぐわっ!お前、仮にも女性に対してそういう行動をとるのか?!』


思い切り自分を踏みつけてくる青輝に、『守珠』は叫んだ。
因みに、女官達はハラハラとしながらそれを見守った。
自分達にとっては蒼花と契約をしている『守珠』は主に次ぐ存在である。
しかし、青輝に歯向かえば間違いなく待つのは死だ。


「俺の予想としては、あの馬鹿が蒼麗を探しに行く為の変わり身としてお前を呼び出し、事情を知ったお前が蒼花の
身代わりを引き受けたという感じだが」

『まさにその通り!!涙を浮かべて妾を見上げる蒼花の愛らしさ!!双子の姉を心配するその健気さと優しさ!!
妾は即座に蒼花を抱きしめ了承したのだvvって痛い痛い踏むなっ!』


グリグリと足に力を込めて来る青輝に『守珠』は叫ぶ。
本当にこの男はある一部の女性を除いては扱いが酷すぎるっ!!
この妾を誰だと思っている!!未来の王妃なのだぞ?!


しかし、他の者達もだいたいが似たような対応をされているので仕方ないといえば仕方ないのだが……。
この男が唯一虐げないで扱うのは、『來』ぐらいのものだ。


「それで、蒼花は何処に行った」

『し、知らん!ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!』


更に力を入れられた。
私でなければ背骨がボキっと言っていた筈だ。
こういう時無脊椎動物であるタコが羨ましく思う。


「この役立たずが」

『お主!!妾を愚弄するかっ!』

「愚弄されたくなければあのボケを止め抜け。それが出来なければ役立たずだ」


そう切り捨てると、青輝は『守珠』を踏みつけていた足を下ろした。
急に無くなった圧迫感に喜ぶ間も無く荒い呼吸を繰り返す。踏まれていたおかげで胸が圧迫されて息が苦しかったのだ。
もう少しで意識が飛ぶ所だった。怒りをこめて睨みあげた『守珠』だが、ぶつかったその絶対零度の視線に血が凍った。


「お前の変身能力を見込んで新たな仕事を作ってやる。このまま蒼花が戻ってくるまで身代わりを続けろ。
決して誰にも気取られるな。但し、蒼花の家族やあいつらとその家族は別だ。どうせすぐにばれる」


あいつらとは幼馴染達の事だ。


「そしてお前達も『守珠』を蒼花として扱え。そして他言無用。バレれば消す」


女官達の表情が一気に引き締まる。
そして次々と傅き「御意」という言葉を紡ぐ。


青輝はもう一度『守珠』に告げた。


「上手くやれよ?」


それは王者、いや絶対的な覇王に相応しい声音。
誰もが殺されてもいいから仕えたい、何を捨てても構わないとさえ思わせる抗いがたい力を持つ魔性にして魅惑の代物の一つ。


『守珠』はゆっくりと頷いた。
その顔に浮かぶ表情は正に未来の王妃に相応しい。
今までの憎まれ口も何もかも、覇王に相応しい青輝の言葉を聞けばもう言葉はない。
ただ、この方の為に全力を尽くそう。それだけを思う。
そしてしっとりと艶の帯びた声で告げたのだった。




『全力を尽くそう―― 『守珠』の名の下に』