第六章−4

キィィィィと音を立てて開いたドアの先。
そこは、船の乗客達が休む客室だった。
だが、そこは本来の役目を失い、まるでそれこそ台風でも通過したかのように荒れ果てていた。
乗客達の荷物が散乱している中を、私と三津木さんは歩き出した。

「・・やはり、誰もいないようだな・・華依璃さん?」

私は一つの戸棚へと向かった。
そして、ゆっくりとその戸棚の蓋を開ける。

「・・居た」

本来なら荷物をいれるそこに入っていたその子を抱き上げる。
驚きに息をのむ三津木さんに私は安堵の笑みを浮かべた。

「いましたよ、無事です」

それまですやすやと眠っていた赤ん坊が声を立てて泣き始める。

「まさか・・・どうして」
「きっと・・お母さんが此処に隠したんですね」

自分の身の危険も顧みず、せめて子供だけでもと。

「もう、怖くないから」

よしよしとあやすと、赤ん坊の鳴き声が弱まっていく。
終にはトロンとした様子を見せ、すやすやと眠ってしまった。


「ふふ、可愛いvv」


白い頬にふっくらとした唇、産毛のように柔らかな髪からはミルクの香がする。
小さな手がキュッと私の指を掴もうとする様は見ているだけで母性愛を激しくかき立てた。


「・・この子の母親は・・まだ無事だろうか」

「それは・・・まだ分かりません。でも、何処かできっと無事にいると私は思います」


そうでなければこの子が余りにも可哀想すぎる。
私は手の中の確かな重みと温かさに勇気づけられながらしっかりと辺りを見回した。


何の音も聞こえない。


本来であれば多くの乗客達が休んでいる場所であるこの室内に居るのは私達3人だけ。


ゴポン


「華依璃さん下がって!!」


三津木さんの叫びに引っ張られるように私は後ろへと下がると、私が居た場所に何かが飛びかかった。


「なっ?!」


「スライム?!」


私をかばうように前に出た三津木さんの言葉に私がのぞき込むと、私が立っていた床に広がるようにアメーバ状の物体が広がっていた。色は透明でその大きさは2メートルほどだろうか?厚みは20センチぐらいだが、それはまるでタコのようにネバネバと動いていた。ふと、まるで蛇が頭をもたげるようにアメーバがその体を持ち上げる。
一目見て、その物体に自分の意志がある事が見て取れた。しかも明らかに私達を狙っている。


「厄介な相手だ」

「三津木さん」

「大丈夫だ、対処方法はある」


そう言うと、三津木さんが持っていた鉄パイプを構える。
だが、それよりも早くにアメーバが飛んだ。


それを三津木さんは鉄パイプで素早く薙ぎ払った。
続いて三津木さんの周りにビー玉ぐらいの水の珠が幾つも浮かぶ。


「行けっ」


それらがアメーバに向けて打ち込まれ小さな爆発を起こす。
ちりぢりとなるアメーバ。だが、小さく千切れたアメーバはピクピクと動き、すぐに一つに集まっていた。
ほどなく元の状態に戻ると、見たかと言わんばかりにその体を持ち上げた。


「ちっ!」


三津木さんが鋭く舌打ちをする。
と、その時だった。


アメーバが三津木さんを飛び越し、私へと襲いかかる。


「華依璃さんっ!!」


大きく広がったアメーバの体が私達を包み込もうとする。



「っ!!」



そのぶよぶよな感触が私に触れた瞬間、私の視界がホワイトアウトした。


何かを叫んでいたのかもしれない。
だが、全身が瞬時に走った電撃に震え、脳裏に不思議な洪水が起こる。
それはまるで津波のように襲いかかり引いて行く。
その引き潮に私の意識が飲み込まれていく。




『華依璃っ!!』



誰かの叫び声が聞こえる。



沢山の悲鳴



まるで阿鼻叫喚といった有様のそれに私はただただ怯えていた。



けれど、それが来た時私は








あの人が闇に包まれていく







『いや、いや、いや―――――――っあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ』





「華依璃さんっ!!」

叫ぶように自分の名を呼ぶ声に、私は我に返った。
ゆっくりと視線を向けると、三津木さんのホッとした笑顔がうつる。

「私・・・」

まだぼんやりとしていて思考が追いつかない。


気付けば、そこは暗闇に包まれた客室。
先程まで自分が居た場所だ。

「大丈夫か?何処か具合の悪いところはないか?」

心配そうに矢継ぎ早に言う三津木さんの様子に何だか笑いが込み上げてきた。
一体どうしてそんなに慌てているのだろう?
そう思った時だった。先程の――アメーバに襲われた記憶が蘇る。

「わ、私っ」


急速に状況が把握され始め、何と三津木さんに抱き締められる形で自分が床に座り込んでいる事にも気付いた。
腕の中にはしっかりと赤ちゃんが抱き締められており、端から見れば夫婦のような・・・っておい!!
何を考えているんだ私はっ!!

「ってアメーバはっ?!」
「ああ、あれなら」

三津木さんの視線を辿り呆然とした。


あのアメーバはまるで彫像のように微動だにせず固まっていた。

「・・あれ・・は」
「覚えてないかい?君がやったんだよ」
「え?」
「アメーバが君に襲いかかろうとした時、君の体から力が放出されて、それに触れたアメーバがあっという間にあんな風に凍り付いたんだ。君は氷の能力者かい?」
「ち、違います」

私は氷なんて操れない。

「そうなのか?なら、もしかしたら新しい力が目覚めたのかも知れない」
「力?」
「ああ――っ!」

凍り付いたアメーバから突如ひび割れるような音がする。
そして次の瞬間



ガラスが粉々に砕け散るようにしてアメーバが砕け散った。
その欠片はアメーバに戻ることなく、あっという間に空気に溶け込むように消えていったのだった。

「・・・・・た、倒したの?」
「そうみたいだ」

あっけなく消え去ったアメーバに、しばし私と三津木さんは押し黙った。

「えっと・・歩けるかい?」

先に話し出したのは三津木さんの方からだった。

「は、はい・・・っ」

立ち上がるものの、膝に力が入らずすぐにその場に座り込んでしまう。
体が酷く重い。

「少し休んでいた方がいいかもしれないな・・・」
「けど、それでは」
「貴方に何かある方が大変だ。それに、そんなに長い時間じゃないしな」
「で、でも・・きゃっ!」

俗に言うお姫様だっこで抱き上げられ、そのまま近くの座敷に降ろされる。

「本来ならここでお茶でも出してあげたいんだが・・」
「いえ、そこまでは・・あの、私のことは大丈夫ですから先に行って下さい」
「っ?!何を」
「今こうしている間にも生き残っている人が危険な目に遭っているかもしれないんです。それを考えたら・・私・・」
「だが」
「大丈夫です、それにほら!私はどうやら他の力も目覚めたようですし」

アメーバを凍らせた力の事をタネに私は三津木さんを説得する。

「しかし、あれは無意識だったんだろう?」
「あの時はです」
「なら、もう一度同じ事を目の前でして欲しいと頼んだら出来るかい?」
「え?」
「出来ない――ならばダメだ」
「で、でも・・・・・」

三津木さんの真剣な表情と眼差しに見つめられ、私は押し黙る。
何とかして説得しなければならないが、これ以上上手い説得方法も思いつかない。

一体どうすればいいか・・・


その時、ふと鼻に甘い香りが漂った。

「あ〜〜、此処にいたぁvv」

突然聞こえてきた聞き覚えのある声に私は客室の出入り口である扉を見た。
そこに立っている人物に喜びの声を上げる。


「そ、蒼麗vv」
「良かった、やっとたどり着けて」

トコトコと歩いてくる蒼麗に私は駆寄るべく足を踏み出し

「・・・・蒼麗?」

「何?」

その場に踏みとどまると、蒼麗はキョトンと首をかしげた。


「・・それ、何?」
「ん?」
「華依璃さん」

三津木が私の肩を掴んで後ろに下がらせる。
彼もこの違和感に気付いたのだ。


可愛い蒼麗



優しい蒼麗



何時も一生懸命で明るい私の親友



道の片隅に生えている小さな花や煩くたかる虫にさえその優しさを見せる彼女の手には今


「ねぇ?こっちに来て?」


血まみれの中華包丁が握られている。