1−4
月のない夜は思った以上に暗く、清奈は何度も転びそうになった。
「お姉様、此方です」
何時も通り慣れた中庭。しかし、灯りが一切無い真っ暗ともなれば、記憶に頼るにも限界がある。
よほど訓練された者でなければスイスイとは行けまい。
しかし
「ちょっと待って西華っ」
妹の西華は、まるで何処に何があるか、どうなっているのか全部見えているかのようにスイスイと歩いていってしまう。
しかも無駄がない動き。自信に満ちた足取り。また、何よりも美しいその後ろ姿は新月の闇夜の中でも輝いて見えた。
その後ろを、清奈は巾着袋を片手に必死に追いかけた。
ふと、西華の歩みが止まる。
「此方ですわ」
「此処って……倉庫?」
目の前に聳え立つのは、中庭の中央にある2階建ての倉庫だった。
暗いが、微かに見えるその建物は記憶通りのものに間違いない。
西華がガチャリと錠前を外して扉を開ける。
ギィィィという重たげな音を立てて、扉は開いた。
その扉は鉄製の造りだが、丁度清奈の顔の高さぐらいに鉄格子がはめられて中が見えるようになっていた。
但し、この暗闇では中をのぞき込んだ所で何も見えない。
また、扉が開かれた現在も、いつもなら在るはずの月の光がない為、何処に何が置かれているか全く分らない。
「此処に……抜け道があるの?」
促され、倉庫に足を踏み入れた清奈は後ろから入ってくるだろう西華に声をかけた。
バンっ!! ガチャ
勢いよく扉が閉まる音、そして鍵がかけられる音が後ろで鳴り響く。
「なっ?!」
すぐに扉に飛びつくが、押しても引いてもビクともしなかった。
鉄格子から外をのぞき込むと、そこには灯りがつけられた懐中電灯を片手に西華が立っていた。
よくよく見れば、もう片方の手にはこの倉庫の鍵、そして先ほどまで自分が持っていた巾着袋が握られている。
「西華?!」
「相変わらずですね、お姉様。少し人を信用しすぎではありませんか?」
普段と変わらない調子で西華は言う。
「西華、もしかして騙したの?!」
「騙したなんてそんな………私はお姉様の身を案じて行動したまで。言ったでしょう?お姉様の為ならば私は何だってすると」
何時もの愛らしい笑みではなく、かといって清楚や可憐な笑みでもない、妖しく妖艶なる笑みを浮かべて西華は鉄格子を掴む姉を見た。
「素直で何処までも人を信じるお人好しのお姉様。けれど、そんなお姉様が私は好きですわ」
「西華・……此処をあけて」
清奈は努めて冷静に告げた。
しかし、西華はクスクスと笑い首を横に振る。
「それだけは出来ませんわ。だって、ここから出れば行ってしまわれるのでしょう?」
お姉様の中学に
「当たり前じゃない!!クラスメイトが助けを求めてるのよ?!」
必死に助けを求めている相手を見捨てる事など出来ない。
しかし、次の瞬間清奈は驚愕の余り言葉を失った。
「それが何だと言うのですか?」
まるで理解不能だと言わんばかりに、 西華はキョトンと首をかしげる。
その姿は、清奈には不気味なほど異様に映った。震える声で、妹を呼ぶ。
「西華?」
「お姉様は悪くありません。失態もありません。悪いのは全てお姉様の忠告を無視したあいつらです」
そう言い切った西華は何処か苛立っているようだった。
「そう――悪いのはあいつらです」
「せ、西華?!ちょっと待って!貴方何か勘違い」
「してませんっ!!だって事実じゃないですかっ!」
さっき部屋で聞いた電話のやりとり、そして清奈によって一から説明された今回の出来事の一部始終。
姉は自分が悪いように説明していたが、そんなことは本当の馬鹿でもない限り真実でない事はすぐに分かる。
悪いのは、姉の忠告を聞かなかったあいつらの方だ。なのにそんな馬鹿の為に姉が危険な場所に向かおうとするなんて許せない。
「お姉様は優しすぎるんです!」
「西華、そんな事は」
「ですから、そんな馬鹿達に大事な一族の者も向かわせる必要はありませんわね」
「え?」
「勿論、お姉様も向かう必要はありませんわ。自分で起こした事ぐらい、自分で始末してもらいます」
そうしてにっこりと笑う西華に、清奈は戸惑った。
一体、この妹は何を言っているのだろう?
すると、妹はクスクスと笑った。
「お気づきになりませんか?お姉様」
「な、何を?」
「たぶん、今頃はお父様も異変に気付かれている頃だと言うことをですわ」
「っ?!」
「当然ですわね。お姉様の学校は此処神有家から少し離れ過ぎているとはいえ、お父様であればお気づきになられるのは間違い在りません。
それでなくとも、千鶴がお父様にお知らせしている頃でしょうからね。けれど、一族の者を向かわせないように頼んでこなければ」
そうして踵を返そうとする妹を、清奈は必死に呼び止めた。
「西華、待って!一体どうしてっ」
「どうしてもこうしてもありません。時期が何時だろうと、肝試しなんて馬鹿な事を計画するだけならばまだしも、
止めようとしたお姉様に暴言を吐き、更にはお姉様の大切な忠告まで無視した。それだけで十分忌々しい相手です。助ける価値もない」
「け、けどそれは一部の人達で、他の人達は巻き込まれただけ」
「それでも行く事を選択したのは本人です」
無常な言葉に、清奈は必死に言い募った。
肝試しを企画した相手はとても厄介な相手で、クラスメイト達はその相手に逆らえない。
だから、今回も逆らえずにいってしまったのだと。
誰しもが声を上げて逆らえるわけではない。強いわけではない。何も言えずに従ってしまう者だって居るのだ。
「それに、私も悪いの。相手がどれだけ厄介な相手か分かっていたのに、中途半端な説得しかしなかったから」
いや、あれは説得とは言えない。怒鳴り散らして強引に従わせただけだ。
所謂脅迫。自分もあのぶりっ子クラスメイトとなんら変わりない。
しかし、そんな清奈の言葉にも西華は聞き入れることはなかった。
「大丈夫です。お姉様は何も悪くありません。そう・・・いっそのこと、クラスメイト達なんて全員いなくなってしまえばいい」
但し、千鶴だけは特別に居てもいいけど。
そう呟く西華に、清奈は自分の体に震えが走ったのを感じた。
「それでは、もう行きますね。ご不便だとは思いますが、少しだけ此処にいてください。お父様にお願いした後、すぐに戻ってきますから。
ああ、勿論此処からは朝に出して差し上げます」
でも大丈夫。朝まで自分も此処にずっといるから。
そう呟く妹に、清奈は寒気を感じた。焦りが生まれる。
「西華、お願いだから出してっ!」
「あらあら、見てください。母屋の方に電気がつき始めましたわ。きっと、千鶴からも連絡が行ったのでしょう。けれど、そうは行きません。
それでは、一時失礼しますね」
そう言うと、西華は清奈の制止の声も虚しく走り去っていった。
再び、辺りに暗闇と静けさが戻る。
懐中電灯は西華が持っていってしまい、清奈の手には光源となるものは何もない。
ただ、それでも一応此処に来る時にはきちんと自分用に懐中電灯を1本ほど他の道具と共に用意してきてはいたのだが
「どうしよう・・・袋を取られたから明かりすら点けられない」
懐中電灯を始め、必要な道具を入れた巾着袋ごと西華にとられてしまった。
こうなると、自分に出来ることは皆無といってもいいだろう。何せ、周囲さえ良く見えないのだ。
術を使うにしても、道具がなければ殆ど効果がない。自分は両親や兄妹とは違いその能力は一族の中でも低い。
それ故に、術を使うときには特殊な道具が必要であり、それがなければ満足に術を使うことすらできなかった。
西華もそれを分かっていたのだろう。しっかりと、巾着袋を取っていってしまった。
そんな妹の抜け目のなさと手際の良さに清奈はガックリと項垂れた。