1−6




もうすぐ、完全に夜が明ける。
そんな時刻にも関わらず、校舎内は暗かった。
しかも、異変が起きているのを如実に表わすかのように、嫌な空気が立ちこめ、どんよりとしている。
通い慣れた筈なのに、見覚えのある場所な筈なのに、まるで見知らぬ場所だと清奈は思った。


「何か起きてるのは確実よね」


体にまとわりつくような禍々しい気配に眉をひそめながら、清奈は前を見据える。
その嫌な気配は、奥から流れ出てきていた。

清奈はロビンがしょっているリュックサックからライターを取り出し火を点けた。


そして


何度も描いてきた印 を素早く 切ると、かかげた指先で目前の空間に魔法陣を描く。

精神を一瞬にして深い集中状態に切り替え、術の使用を可能とする解放の語句を唱える。



偉大なりし四大精霊が一つ――炎上せし炎。この世にあまねくいっさいを灼き払うもの。我が名は清奈。
その名の下に我、汝を召喚す。自然を司りし精霊の都より、来たれ──汝、猛き炎」



すると、清奈が中に描いた陣が瞬時に炎を思わせる鮮やかな朱色へと変化する。次の瞬間、それは空中から消えた。
変わりに、清奈の右手の甲に先程描いた朱色の陣がクッキリとその姿を現わす。


「これでよし。暫くはこれで持つわね」


神有家の先祖によって生み出された術式。
体に刻み込むことによって不安定な陣をしっかりと安定させるばかりか、いちいち陣を描く苦労を無くすこの術式は、
ある一定の容量を持った陣をこうして手の甲に刻みつけることで術そのものを常に発動可能とする。
勿論、これには容量の限りがあるため、何度か使えば陣は消えてしまい、改めて陣を形成し直す必要がある。
しかし、一流の術者ならば陣を形成する事など容易いものだが、そうでなければ時間も手間暇もかかり、よってこうしてある程度の容量を
区切ってすぐに使えるようにする術式は使い勝手もよく、その後多くの術者達によって使われることとなった。

そしてそれが、陣使いとしての神有家の名を更に高めるものとなったのだった。

右手の甲が熱い。しっかりと、術が安定しているようだ。


「よしよし、私も上手くなったものよね」


自分達の一族は他の一族とは違い、陣と呼ばれるそれを扱う。
陣は空中に留まらず、何処にでも描くことが可能だった。また、描くものは何だっていい。使えるものはなんだって使う。
そうして陣が描かれた後、誓言の語句を静かに唱えると、それによって術者の精神は自然を司りし精霊界と繋がれるのだ。


そしてこの世界と精霊界とを繋ぐ門の《扉》を開き、そこから求める力を引き出した後、陣を窓口にして行使する力を望む形象または
現象として顕現させるのである


それらの工程を、熟練の術者たちは一瞬にこなす。
複雑で高度な陣になればそれだけ時間も手間ひまもかかるが、熟練者になればなるほどそれに要する時間も手間ひまも少なくなる。
特に、一族の中でもトップクラスの術者や自分の家族になれば、周囲が気付く暇もなく陣が完成されている事もあった。


しかし、自分はまだまだ。
詠唱も時間がかかるし、そこから呼び出すには更に時間を要する。
とはいえ、前よりは少しだけ早くなったのも事実であるが。


「けど、きっともっと練習すれば私でももう少しは早くなると思うし……頑張ろう」

その為には、何としてもクラスメイト達を見つけ出して無事に帰らなければ。

「にしても、思いのほか使っちゃったわね……」


清奈は持っていたライターを見つめる。
しかし、すぐにそれをポケットにしまい込んだ。まだマッチがあるから大丈夫だろう。


「さてと、それじゃあ出」


『清奈っ!』


「うぎゃあっ!」


突然聞こえてきた声に、清奈は悲鳴を上げた。
余りの驚きに、思わず口から心臓が飛び出しそうだった。きっと血圧及び心拍数ももの凄い勢いで上昇中だろう。


「って、何?誰?何処にいるの?!」

『清奈、こっちですわっ!』

「え?この声って」


聞き覚えのある声に、清奈は冷静さを取り戻す。


「もしかして……千鶴?」


しかし、辺りをキョロキョロと見回すがそこには誰もいなかった。


「何処にいるの千鶴!!」

『だから此処ですって!!』

「いや、此処って……ん?この中から聞こえてる?」


清奈は自分が抱きしめるロビンのリュックサックを見た。そして耳を当てて驚く。


声は全部ここから聞こえていた。


「え?嘘?!千鶴いつの間にっ!!」


まさかこの中に千鶴が?!いや、普通の人間にそんな事は出来まい。
しかし、何か気になり清奈はリュックサックをあけてゴソゴソと中を探った。


そして見つけた。


「な、何これっ!」


リュックに入っていた手のひらに収まる小さな丸い鏡に、千鶴の顔が映し出されていたのだ。


「ちょっ、どういうこと?!」


何も知らなければホラーとしか言えないその光景に呆然としていると、千鶴がホッとしたように表情を和らげた。


『良かったですわ、清奈が鏡を持っていてくれて』

「はい?いや何で鏡?」


『それについては後ほど説明しますわ。実は、清奈から電話を切られた後に当主様に電話をかけましたの。
一度は協力してくれるとの事でしたが、すぐに西華から神有家は今回の件に一切関わらないと』

「ってやっぱり西華がお父様を説得しちゃったの?!」

『やっぱりとはどういう事ですか?』

「あ、それはね……」

清奈は自分が電話を切った後に起こった事について説明した。


『そうですか……私も電話を受けた後どうしたらいいかと……清奈にあわせて貰えるように頼んでも西華のあの様子では絶対に
許可してくれなさそうでしたし』

「ってか、私が転校って………あれほど転校なんてしないって言ってるのに」


元々、自分が今の学校に通うのを家族は猛反対していた。特に、妹の反対は酷く、ことあるごとに転校を進めていた。
近頃はそれもあまりなくなってようやく認めてくれたのかと思っていたが……。


「家に戻ったら西華と話し合う必要があるわね」


その為にも、無事に帰る必要がある。


「それで、どうしてこの鏡で私は千鶴とお話出来るの?」

『それは、私が持っている仙鏡のおかげですわ』


千鶴は説明した。
石崎家には、昔からとある鏡が伝わってきた。
それは、石崎家の祖先が仙女から貰ったとされており、その力は主に通信を取ることに特化していた。
相手が鏡を持っていれば、何処にいても、どんな結界があっても鏡を繋いで連絡を取ることが出来るとされるその鏡は、
昔はよく通信手段として利用したという。


しかし、時代は流れ一般の通信機器が発達した現代ではその鏡も余り使われることはなくなり、倉庫に保管されていた。
それを、幼い頃に見た千鶴はその美しさに一目惚れして祖母に強請った末に手に入れたという。


『何時もは押し入れの中にしまってありましたが、もしかしたらと思って使ってみましたの。発動させるための語句を探すのに
少し手間取りましたが、こうして清奈に連絡がつけられたという事で本当に良かったですわ』


鏡という事で、それぞれの鏡に互いの顔が映し出され、その様子も確認できて一石二鳥。
本当に、優れた鏡である。


「そうだったんだ……けど、私が持つ鏡は普通の鏡だけど」

『通信を受取る側の鏡は別にどういった鏡でも大丈夫なようです』


どんな鏡でも、鏡でさえあれば通信を送ることが出来るという。

但し、一つ難点がある。


「けど、そうなるとこちら側からは通信を出来ないと」


受信しか出来ないという事は、相手から連絡が来ない限りは此方から何があっても連絡が出来ないという事だ。


『そうですわね……ですから、私から時間を決めて連絡するという方法しかありませんわね』

「そうだね………って、あれ?」

『どうしました?』

「えっと……いや、何かその言い方だと私が此処に来ることを認めたみたいな」

『どうせ説得したって帰らないんでしょう?』

「あ、えっと……」


千鶴はよく分かっている。

『それに今家に戻した所で、怒り狂った西華達が収まるとは思えませんわ。ならば、無理には止めません』

私も、クラスメイト達を助けるのに協力します。

「千鶴……」

『但し、危険だと感じたらすぐに逃げて下さいね』

「うん、分かってるってvv」

そのハイテンションぶりに、千鶴は本当に分かっているのかとため息をつくが、すぐに気持ちを切り替える。

『それでは、ひとまず鏡はそのままで。胸ポケットにでも入れておいて下さい』

「は〜い」

『それで、まずはどこから調べるおつもりですか?』

「えっと………そういえば、全く考えてなかった」

昼間とは違い、自分達のクラスにいるというわけではない。

『というか、普通はこのような時間に生徒が校内をウロつく事自体ないのですが』

「うん………やっぱり、あの時もっと強く止めとけば良かった」

もっと強く止めておけば、きっとこんな事にはならなかった筈。
それは今も後悔している。
すると、鏡の中の千鶴がクスクスと笑った。


「な、何?」

『いえ、清奈は本当に可愛いと思いまして』

「はい?」


キョトンとする清奈に、千鶴は笑いを止めることが出来なかった。


素直な清奈。優しい清奈。お人好しで何時も人に騙されてるけれど、それでも人を信じるのを止めない、優しくするのを止めないその清らかな心は
どんな宝石よりも美しく輝く。そして、そんな親友が千鶴は誰よりも好きだった。


普通ならば、自分が嫌いな相手に忠告などしない。また、したとしてもそれを無視して問題が起きたならばそれ見たことかと呆れるだけだろう。
しかし、清奈はそれよりも何よりも何とかして助けようと動く。そう思える存在がどれほどこの世にいるだろうか?
自分の危険も顧みずに、事が起きれば助けに向かおうとするのは。しかも、何の見返りもない。
他のクラスメイト達は別として、あのブリッコクラスメイト達ならば助けたとしても文句をつけた挙げ句にきっと恩を仇で返すだろう。
清奈だってそれぐらい分かっているはずだ。

けれど、そんな事ぐらいで止められるのならばそもそもこんな所には来ない。
妹に閉じ込められようとも、地震の被害を受けようとも清奈は助けを求めている人がいる限り、清奈の歩みは止まらない。


「あ、そういえばさっきも言ったけど、ここに来る前に起きた地震!千鶴は大丈夫だった?!」

『ええ、大丈夫です。一族の者達の結界がありましたし、被害は最小限でした』

「そっか〜。けど、こんな時間に地震なんて……いやいや、どの時間でもやばいけど」

『その事についてですが、清奈。あの地震は自然現象のものではありませんわ』

「え?」

『一族の者の話では、あの地震は何か強大な力の余波によって起きたものではないかと』

「なんですって?」

『先程、神有家からの招集で、京都の主立った一族達によって現在調査中です。しかし……』

「千鶴?」

『先程認める発言をしたばかりで申し訳ありませんが……清奈、今からでも遅くありません。戻ってくるという選択肢は本当にありませんか?』

「え?」

『私は、その地震が中学で起きた異変に関係しているのではないかと』

「そ、それは……」


『あれほど大きな地震を起こすほどの力が、校舎の中にある。もしそれが本当ならば普通の能力者では危険です』


千鶴の言葉に、清奈は瞳を閉じる。
そしてゆっくり10を数えた後に、千鶴を見つめた。


「ありがとう、千鶴。けど、それなら尚更私は行かなきゃ」

『清奈……』

「馬鹿だって分かってる。でも、それでも見捨てるなんて出来ないの!!」


助けを求めている人がいる。それが、自分の知り合いならば尚更だ。


「まあ、こんなんだから何時も貧乏くじなんだけどね」


力もたいしてない落ちこぼれの自分。けれど、それでもやれる事はある。
例えそれが貧乏くじだとはいえ、出来ることは全部やる。


『……分かりましたわ、そこまで決めているのならばもう何も言いません』

「ありがとう、千鶴!それじゃあ行きますかっ」

『ええ、全力でサポートします。まずは用務員室に行ってみて下さい。夜とはいえ、用務員の方は必ず在駐しています。
何かあればそちらに行くでしょう』


助けを求めて


「だよね」

『出来れば、外に逃げ出してくれていれば良いのですが……そういった様子はありますか?』

「……いえ、無かったわ。実は、校内に入るときに最初は裏口から入ろうとしたんだけど開かなくって……」


そして正面玄関に回ったが、そこもやはりすぐには開かなかった。


『ん?それでは、どのようにして』

「全力タックル」

『えぇ?!』

「けど、それでも開かなくて……仕方ないから術で破壊しちゃったvv」


手の甲に印を刻む前に、発動させた陣。それによって扉を強制的に壊したのだ。

『…………………』

「んで、すぐに対処出来るように陣を手の甲に刻んでさ……そしたら、ライターのオイルがもう無くなっちゃってvv」

なので、もうライターは使えない。


『………清奈。用務員室に行ってからで構いませんので、ライターのオイルは補充して置いて下さい。
確か、そこの用務員室には用務員さんがタバコを吸うという事でライターの類がありましたわ』



いざとなったら全部持っていけと言う千鶴に、清奈はしばし悩むが、ついにはその迫力の前に頷いた。



そして、清奈は用務員室へと足を進めた。