第一章−4





「はい、これで終わり。まだ痛い所はないかい?」
「あ、大丈夫です」

 私の手当をしてくれた緑翠さんはそう言うと、優しくぽんっと頭を叩いてくれた。
 術によって治された体に傷は一つも見あたらない。また、あれだけあった痛みも今は全くなくなっていた。

「あの、ありがとうございます」
「はは、気にしないでいいよ」

 そう言うと、座っていたソファーに深く座り直した。
 ぽすんとソファーに載っていたヌイグルミが転がり落ちる。
 それを手に取り横に置きながら、緑翠さんはキッチンにいる聖に呼びかけた。

「華依璃ちゃんの治療終わったぞ」
「じゃあ、お茶持ってくね!!」

 今、私は聖の住む寮へとやってきていた。


 葎達をボコボコにした後、彼らは騒ぎを聞きつけてやってきた大人達によって警察へと連れて行かれた。
 罪状は、私への暴行と聖への強姦未遂、それ+緑翠様によって色々と罪状をつけられた彼らはまるで
負け犬のように引き立てられていった。
 葎の恨めしそうな顔が今も脳裏に残っている。


『覚えていろ』


 彼の声は怨嗟に満ちていた。
 その時の恐怖を思い出しぶるりと震えた私の頭を優しい手がなでた。

「大丈夫だよ」

 それは緑翠さんの手だった。
 美しい顔に優しい笑みを浮かべて笑いかけてくれる。

 私は失礼だと分かっていたが、ジ〜〜と緑翠さんを見た。
 そして改めてその美貌に感嘆のため息をついた。
 新緑を思わせる艶やかな緑髪に縁取られた顔は信じられないほど整っており、そこに浮かぶ碧瞳はまるで
エメラルドの宝石を思わせる。何処か飄々とした雰囲気を漂わせつつも、決して軽薄なわけではない。
 また、その肢体は中性的にして華奢ではあるが、強い意思を持った面差しは寧ろ良いようもない色香溢れた
男性美さえ感じさせる。

「やっぱり、緑翠さんの方が綺麗」
「え?」
「あっ////す、すいません!あの、その、あの葎さ…葎が緑翠さんよりも自分の方がいいとかいっていて、
けそんな事ないって、で、え、えっと……」

 言ってることがちぐはぐになり思わず顔が紅くなる。

「へぇ?俺って綺麗?」
「あ、その」
「緑翠、華依璃を苛めないで。緑翠の容姿なんて何処にでもある平凡なものですわ」

 と、茶器を揺らしながら持ってきた聖ががちゃんとテーブルの上に置いた。

「お前、酷いな」
「あら?本当のことですわ」
「まったく……こんなのの何処に惚れるのやら」

 それが葎の事を言ってることに気付き、私は緑翠さんの顔をみた。

「君も災難だったね。あんな顔だけ男に目をつけられるなんて」
「え、あの、私は別に目をつけられたわけじゃ」
「あんな男はやめときな。君ほどの子ならもっと良い子が見つかるよ――聖が邪魔さえしなければ」
「緑翠ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃいっ!!」
「聖、落ち着いて!!」
「「聖様のご立腹だ〜」」

 那木と椎木が安全地帯に逃げつつ火に油を注ぐ。

「黙りなさいこのツインズがぁ!!そもそもあんた方がさっさと華依璃の所に行かなかったらこうなってんでしょうが!!
しかも、人の邪魔ばかりしてっ!!」
「「え〜〜、だって聖が最初に止めたんだろう?」」
「だからってあの男が華依璃を殴ってるのを黙って見てるつもりなんてありませんでしたわ!!」
「……それって、もしかして結構前から隠れてみてたって事?」

 話の流れからそう呟いた私にその場が固まった。

「いや、そのね」

 これはやばいとばかりに蒼麗が慌てて説明し出した。

 つまり、こういう事だ。
 聖は一度は怒って帰ったものの、私のことが心配になり蒼麗と一緒に戻ってきたらしい。
 その途中で那木と椎木に会い、4人で私を捜すと丁度私が葎とぶつかった所に出くわしたらしい。
 最初はすぐに私を連れ出そうかと考えたが、話の流れから葎の本性を暴いて私に知らせるチャンスが
あるのではと思い隠れて様子をうかがっていたという。
 しかし、聖達がチャンスを作る前に葎は勝手にぼろを出し、私を殴ってしまった。
 それに驚いた聖が慌てて飛びでようとしたが、どうせなら徹底的に葎の醜い本性を私に知らせようと那木と椎木が止めた。
 だが、そのうち葎の仲間までやってきて私を殴る蹴るし始めた時にはもはや黙っていられず
飛び出してきた――つまりこういうわけだ。

「だって、やっぱり一度は憧れた相手じゃん?」
「ちょっとやそっとじゃ思い切れないだろう?」
「そ、それは………」
「良かったじゃん、あいつと縁が切れて」
「切れるほどの縁もなかったけど」
「で、緑翠、貴方は何時あそこに来たの?」
「あいつらをボコる前」
「にしては事情をよく知っていたようだけど」
「水鏡で見てたから」

  行動を逐一。

 そう言い切る緑翠さんに失礼ながら私は思った。


  それってストーカー?

「緑翠」
「いや、最初に見てたのは蒼花様。蒼麗様が何をしているのかと気になったらしくてさ。で、流石にトイレや
お風呂まで見たらやばいと青輝様が監視されていたんだけど、今日は他の仕事があったから、俺が代わりに
監視役を任されて一緒に見てたんだ。で、ずっと見てたんだけど」

 途中、華依璃と聖達のいさかいを見て、蒼麗の妹さんの興味は私の方へと移ったという。
 で、見ていれば葎が私に暴言を吐いた上、緑翠様にとっては愛する自分の許嫁に対するとんでもない計画まで
知ってしまい、蒼花様が許可した瞬間怒りのままに此方へとやってきたという。

「全くあの男どもは……いや、男の風上にもおけない」
「本当にその通りですわ」

 ぷんぷんと怒る聖に私は黙りこくる。
 すると、そんな私に気付いたのか聖が声をかけてきた。

「どうしましたの?」
「あ、あのね………その、あの」

 言わなければいけない。
 けれど、まるで言葉が詰まってしまったかのように出てこない。

「あの、あの」

 言わなければ。
 葎達に殴られる中、そう決めたのだ。

 私は一度言葉を止めて大きく息を吸い込み深呼吸する。

  そして


「ごめんなさい」
「華依璃?」
「今まで聖の嫌なことをし続けてごめんなさい。あの男に私が利用されたのは事実だけど、最終的にそれを信じたのは
私。聖よりも私は好きな人の方を信じた。それも上辺だけの優しさを信じて、本当に私のことを思ってくれていた
聖や蒼麗を蔑ろにして……。凄く自分が馬鹿だと思う。本当に自分で自分を殴りたいぐらい。だから今回痛い目に
あったのも全部自分のせいだって受け入れてる」
「華依璃、それは違うわ」
「違わない。ずっと嫌だって言ってたのに聖に強引に手紙を渡し続けて、緑翠さんがいるのが分かってたのに私は渡し続けてた。
葎の言いなりになって、何にも見えてなかった。ごめんなさい……私のせいで危険な目にあわせかけて本当にごめんなさい」

 本当はもっと一杯言いたい事があった。
 けれど、余りにも多すぎて、今言ってることすら支離滅裂になっている。


 ボロボロと涙がこぼれ、声は嗚咽が混じり喉が震える。

 謝っても謝っても謝り足りない。
 それだけの事を私はした。

 葎は確かに私を騙して利用したけど、それを信じたのは私の意志なのだ。
 申し訳なさにこのまま消えてしまいたいとさえ思った。

「ごめんなさい……」
「別に、気にしてないですわ」
「え?」
「私が本当にムカツクのはあの男ですわ」
「でも」
「いいんですの。で、私とあの男、どちらが大切ですの?」

 それはカフェでの質問。あの時私は応えられなかった。

「聖!!」
「私の方が華依璃との仲が長いのに、あんな途中からポッと出の男に邪魔されてっ!!」
「聖は華依璃を気に入ってるからな」
「緑翠さん?」

 見ると、緑翠さんが楽しそうに笑っていた。

「聖さ、今まであんまり友達がいなかったんだよ。自分の全てを認めてくれる親友を。全身でぶつかってきてくれる親友をさ」


 緑翠さんは言う。
 外見や才能が優れてはいたものの、そればかり評価されて、それだけが目当ての者達ばかりが近寄ってきた。
 誰も聖自身を見なかった。ただ、美しく綺麗で頭の良い聖と仲良くなれば自分に利益があるという思いだけで来た。
 当然心を開けるなんて事はない。


 けれど、此方にきて、蒼麗と知り合い、うちのクラスの人達と関わっていく中で聖は沢山のものを手に入れたのだという。

「中でも、華依璃って子は蒼麗様と同じく初めから自分の事を特別扱いしなかったって」
「いや、それはまあ……」
「ありがとう、君みたいな子がいると俺も安心だよ」
「そんな……私なんて、聖を危険な目に遭わせたし……それに、ブサイクで太ってるし」

 葎の言ったことは全部本当だ。
 本当なら、聖の隣に並ぶのもおこがましいぐらいだ。

「う〜〜ん、確かに太ってはいるけど……ブサイクではないと思うな。それに太っているのはやせればいいだけだし」

 そのやせるのが大変なんですと項垂れる。

「そんなに気にすることはないさ。聖の妨害にさえ気をつければ」
「緑翠っ!!」
「俺は知ってるし。お前が華依璃に近づく」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 聖が突然叫び出す。
 と思いきや、そのまま緑翠を別室へと連れ込んだ。
 聖の部屋は、蒼麗とは違い、居間の他に寝室と、その他にもう一部屋あるのだ。

「ど、どうしたんだろう?」
「うん、どうしたんだろうね?」

 蒼麗と一緒にキョトンとする。
 何やら向こうでドッタンバッタンと騒ぎが聞こえてくるが、そのうち静まりかえった。

「あ――と、蒼麗もごめんね」
「ん?何が?」
「嫌な思いさせて」
「そんな事ないよvvそれよりも華依璃ちゃんが無事で良かった!……ごめんね、もっと早くに助けられなくて」
「ううん、いいの。那木と椎木も……ありがとう。まさか、二人が助けてくれるとは思わなかった」
「別に?」
「只の気まぐれ?」
「二人とも素直じゃないね?華依璃ちゃんが殴られた時の二人なんて」
「「蒼麗の幻覚だよ」」
「もう〜〜」
「本当にありがとう」


 ぺこりと頭を下げると、二人が何だかそわそわとし出す。
 だが、すぐに何時もの不敵な笑みを浮かべた。

「あれ?感謝してるんだ?」
「してるんだ?」
「何?いくら人のことを苛めてくる嫌な奴らでも、助けられたら感謝ぐらいするわよ」
「へぇ〜〜、それじゃあお礼してよ」
「うん、お礼してよ」
「お礼?」
「「そう、お礼!!はい出席して」」

 その言葉とともに差し出されたのは二人の家で行なわれるパーティーの招待状。
 ずいっと眼前に突きつけられ、更には逃げ場をなくされる。

「え〜と、那木、椎木?」
「「お礼、してくれるんでしょう?」」

 二人が悪魔に見えた。





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