第二章−3
「………やばい……」
此処は何処?
広く長い廊下のど真ん中で佇みながら私は呟いた。
って、此処は本当に何処?
「………とりあえず、何とかして屋敷の外に出なきゃ」
しかし、どちらから来たのかも分からない。
取り敢ず、私は自分の勘のままに進むことにした。
もし途中で誰かに会えれば、その時は事情を説明して外まで案内して貰えばいい。
「………えっと……」
長い廊下を進み、右に左に曲がる。
しかしどうしてだろうか?何だかどんどん中に入り込んでいる気がする。
「ど、どうしよう……」
しかも、不思議なことに誰にも会わない。
いくらパーティーが開かれているからといって、こんなにも誰にも会わないなんて信じられない。
ってか、警備とかはどうなってるのか。
その時だ。
何処からか笑い声がする。
「え?」
楽しそうな笑い声。
まるで愛しい子供に話しかけるような柔らかい声も聞こえてきた。
その声に引かれるようにして、私は歩き出した。
うふふふふふふ
あはははははははは
一歩一歩進むにつれ、声はどんどん近くなっていく。
「誰かいるのかな」
もし誰かいるのなら道を聞けるかも知れない。
そんな期待を胸に、一つの扉の前に辿り着いた。
少し開かれた扉。
そこから漏れる声と光に扉をノックした。
…………………
返事はない。
もしかして気付かないのだろうか?
もう一度ノックし、それでも返事がなかった為、私はゆっくりと扉を開いた。
勿論、きちんとすいませんと言って。
視界に広く上品な部屋の内装が飛び込む。
中央に置かれたベットが此処が寝室である事を伺わせる。
絶妙な配置で置かれた家具はどれも皆高級品であり、壁紙からカーテンに至るまで一目で素晴らしいものだと分かる。
ベットは天蓋付のベットだった。
垂らされたカーテンの向こうに、人影が見える。
「あの……」
ゆっくりと近づき、なるべく失礼にならないように言葉をかけた。
「すいません、パーティーに出席していたものですが、その、道に迷ってしまって」
しかし、カーテンの向こうにいる人影は動かない。
ひたすら誰かと話しているらしく、笑い続けている。
その、何とも楽しそうなこと。
「あの、すいません……」
ベットの横に立ち、もう一度声をかけた。
しかし、反応はない。
「……こ、こうなったら」
後で怒られることは覚悟の上。私は強行突破に踏み切った。
「すいません、失礼しますっ!!」
そう言って垂れ下がるカーテンを大きく払う。
そこに居た人物が此方をゆっくりと見上げた。
あ――
その時の感覚をどう表わしていいのだろう?
ベットに上半身を起こして横たわっていたのは美しい女性だった。
20代の後半ぐらいだろうか。大人の艶と円熟した色香を放つその女性は、同時に驚くほど儚げであり、
まるで触れれば消えてしまいそうな雰囲気を漂わせていた。
ふわりとゆるやかにウェーブのかかった水色に近い長い銀髪に見取れていれば、純粋な光を宿した
蒼い瞳が私を見上げている事に気付いた。
その瞳を見つめ返しながら私はふと思った。
何故だろう?
とても懐かしい気がする。
まるで、昔何処かで会ったことがあるような……。
(って、私は何を考えてるのっ!!)
そんな事はある筈はない。
そうして私は頭を振ると、最初の目的を果たそうとした。
「すいません、あの」
道を教えて貰いたいんですけど
そう言おうとした時だった。
「……海璃」
「え?」
「海璃、海璃なのね貴方はっ!!」
それまでぼんやりと私を見ていたその女性が突然叫び出す。
その瞳は先程とは違い、狂喜に彩られていた。
「え、あの」
「ああ、海璃、私の海李っ!!」
美人は声も綺麗だ――なんて思っている暇はなく、私はあっという間にその女性に抱きつかれてしまった。
が、悲しいかな。
私の胴回りが太すぎて女性の手は回りきらない。
しかし、その女性は死んでも離さないといった様子で私を抱き締める。
「ああ、私の海璃、帰って来てくれたのね?!」
「あの、その人違いじゃ」
「帰って来てくれた、帰って来てくれたの」
「あ、あの」
「さあ、その顔を見せて。ずっとずっと待っていたの。貴方が帰ってきてくれることを」
「あの、だから」
「私は馬鹿だったわ。貴方を守るためとはいえ、貴方を突き放して……でも、もう今度は間違わない!
貴方を一人にはしないわ」
半ば悲鳴のような叫びに私は戸惑う。
と、胸元に湿りを覚えて見れば、そこは女性の瞳からこぼれ落ちる涙で濡れていた。
ポロポロと涙をこぼす女性に私は言おうとした言葉を飲み込んだ。
「今日はなんて良い日なんでしょう!!海璃の誕生日に貴方を取り戻せるなんて」
「貴方は……」
「まあ!貴方なんてそんなっ!確かに私は至らない親だったけど、そんな風に言わないで!
前のようにお母様と呼んで欲しいの」
「おかあ……さま?」
「そうよ、海璃……私の愛する娘」
娘を追い求める母の愛。それを溢れさせながら必死に私を抱き締める女性に私は動けなかった。
違う。違うのだ。
私は貴方の娘ではない。
そう言わなければならないのに言葉が出てこない。
勘違いしているのだと言わなければならないのに、唇を動かす事は出来なかった。
「海璃、海璃、私の愛しい娘」
「わ、私は……」
飲み込まれそうになる。
その悲しみに、その喜びに。
ダメだ、このままでは囚われてしまう。
そう思った瞬間、私はその女性の手を振り払っていた。
「待って、海璃っ!!」
後ろから女性の悲鳴が上がるが立ち止まってはいられなかった。
勢いよく扉を開け、外へと飛び出す。
「瑠璃華様?どうなされきゃあっ!!」
騒ぎを聞きつけてきたらしいメイド数人と鉢合わせしもう少しでぶつかりそうになる。
が、そこを鍛え抜かれた脚力でもって耐えると、メイド達の間を通り抜けるようにして走り出した。
「待ちなさい、誰か、誰か来てっ!!」
メイド達の叫び声が聞こえる。
彼女たちにとっては私は思いきり不審者だろう。
だが、立ち止まって事情を説明するよりも何よりも一刻もこの場から離れたかった。
何処をどう走ったのか分からない。
けれどただひたすら長い廊下を走り続ける。
逃げなければ
早く逃げなければ
まるで何かに追い立てられるように私は走り続けた。
「違う、私は……」
口が勝手に何かを言っているが分からない。
早く
早く
そうして脇目もふらずに走り続けた私は曲がり角の向こうからやってきた彼らに気付くのが遅れた。
聞こえてきた声に我を取り戻すやいなや、誰かの胸元がドアップで視界に飛び込む。
慌てて止まろうとしたものの、スピードのついて体はすぐには止められない。
「きゃあ!!」
「華依璃っ!!」
前に倒れ込む私は二人を押しつぶす光景に思わず青ざめた。
が、いつまで経ってもそれ以上の衝撃はこなかった。
気付けば、誰かの胸の中に私は居た。
「……あ、ご、ごめん…なさ」
「「ようやく見つけた」」
「え?……な、那木、椎木?!」
見れば、私は那木の胸に抱かれていた。
何処かホッとした様子のツインズの様子に、私はしばし呆然と彼らの顔を見上げた。
その様子に、ツインズの顔に何だか心配げな表情が浮かぶ。
ツインズには一番似合わない表情に思わず笑みがこぼれた。
って、いやまて。
今の私の状態――半ばもたれかかるという、標準体重+20sの巨体では余りやっては
いけないこの体勢はなんだ?!
ってか、このままだと那木が潰れる!!
那木は中肉中背というよりはそれよりも少し細身の体つきでどことなく中性的な雰囲気を漂わせている。
それが、私のような巨体を支えるというのは視覚的にも無理がある。
………いや、その前にどうして此処に那木と椎木がいるのか?
そんな疑問に駆られた私に、新たな声が飛び込んできた。
「華依璃ちゃんやっと会えたぁ!!」
「蒼麗?!聖もっ」
「何処か行くときにはきちんと行き先を告げてから行って下さいませ。でないと探す方は大変ですのよ」
行き先を告げろと言われたってあんな風に突然抱え上げられれば……って。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!また荷物抱えされるぅっ!!」
「あ、いつもの華依璃だ」
「うん、いつもの華依璃だね」
「心配したんだよ?!いきなり屋敷の奥に走り出しちゃって」
「蒼麗の言うとおりだよ。しかも、人の家のプライベート区間に入り込んじゃうし」
「しかもタイミングが悪くてその手前で招待客に捕まるし」
ため息をつく椎木曰く、私がプライベート区間に入る手前で捕獲しようとしたものの、その一歩手前で招待客の
一人が声をかけ、それを皮切りにあっという間に囲まれてしまったらしい。
何とか適当に相手をして切り抜けたときには既に私の姿はなかったとか。
「って、何処まで行っちゃったのさ」
「まさか、下手に部屋に入らなかったよね?」
彼らの問いただしに私は口ごもった。
入りました。
先程の記憶が蘇る中、私はどう説明しようかと考えた。
「え、えっと……その、道を聞こうと部屋に」
「何処の部屋?」
「まさかボク達の部屋じゃないよね?」
人の部屋に無断で入るのは変態だぞと言わんばかりのツインズにカッとなって思わず怒鳴ってしまった。
「あんたらの部屋に誰が入るか!!私が入ったのは扉に瑠璃の華が描かれた部屋よっ!!」
「「っ?!」」
二人の顔色が変わる。
「……いま、なんだって?」
「瑠璃の華って言った?」
「え、えっと」
「そこに……入ったの?」
「あ、あの……離してっ」
ツインズの視線に恐怖を覚え慌てて那木の腕から抜けだそうとしたが、力の込められた腕は中々離れない。
それどころか、余計に密着する。
「華依璃……もう一度聞くよ?そこに入ったの?」
「那木君、椎木君落ち着いて!」
「「蒼麗は黙ってて」」
「ねぇ、華依璃?」
秀麗な顔を近づけ那木が囁く。
普通の女性ならば此処まで密着されれば思わず頬を赤らめるだろうが、私には恐怖しかなかった。
怒ってる?
「嘘は言わないでね?」
「嘘を言ったらもっと苛めるから」
「入ったわよ……」
「「そう」」
すると、那木がスッと腕を放しようやく圧迫感から解放された。
って、私のこの巨体を抱き締められるなんてよっぽど腕が長いんじゃないだろうか?
しかし、見る限り那木も椎木も均整の取れた体つきをしており、手だけ長いという事は全くない。
もしかしたら、身長差のせいなのかも。
そんな事を考えている時点で私自身かなりパニックになっていたのかもしれない。
しかし、それでも体は本能的に那木達から距離を取り荒い息を吐いた。
「入っちゃったって……どうする?那木」
「どうしようか、椎木」
「さ、流石に勝手に中に入ったのは悪かったわ……ごめんなさい。後できちんと謝るわ」
そう言ったものの、再びあの部屋に入りあの人に会うのは気が重かった。
あんな事があったのだから当然といえば当然だが、あの人といると自分が自分で無くなるような気がする。
まるで、自分の中に眠る何かがムクリと頭を擡げてきそうな感じがするのだ。
「別に、謝らなくて良いよ」
「どうせ、あの人は気付いてないんだから」
吐き捨てるように言った二人に、私は何かひっかかるようなものを感じた。
「で、でも……勝手に中に入って……その、不法侵入しちゃったし」
「だから、誰かが入ってきたことすら気付いてないよ」
「そうそう、あの人は何時もそうだから」
「えっと……その、華依璃ちゃんが入っちゃった部屋の人ってどういう方なの?」
蒼麗が恐る恐る質問を口にする。
すると、那木と椎木がクスリと笑った。
「「母親だよ」」
ツインズが感情のこもらない声で言う。
「母親………って、え、あんた達のお母様?!」
「扉に描かれた瑠璃の華は母様の名前である瑠璃華をあらわすもの。つまり、そこは母様の部屋だって事だよ」
「じゃあ、あの儚げな美人さんは」
「ぼく達の母親の瑠璃華。蒼海守当主の夫人だよ」
「う、うそぉっ!!」
「こんな事で嘘なんてつくか」
「え、え、でもあんまり似てない……」
「母様に似てるのは瑠水姉様だけ。ぼく達は父様に似てるんだ」
「ってか、クリそつよね」
それまで黙っていた聖がポツリと言う。
「聖、よく知ってるね」
「前にお父様に紹介されたことがありますの。そこのツインズを20代後半まで老けさせた感じですわ」
「ふ、老けさせた……」
「ど、どうしよう……」
凄く失礼なことをしてしまった。
「別に気にしなくて良いよ」
「そうそう、気にするだけ無駄」
「無駄ってあんた達のお母様じゃないっ!!」
「「産みの親ではあるね」」
「那木、椎木?」
「親だよ。確かに母親だよ」
「血は繋がってる実の母親。でも、あの人がぼく達を見てくれた事は一度もない」
「それってどういう……」
呆然とする私に、那木と椎木が笑う。
それは何処か自嘲するような、それでいて悲しげな笑みだった。
「どうもこうもない」
「あの人にとってはぼく達は出来損ないなんだ」
「「あの人の望む身代わりにさえなれなかったぼく達はね」」
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