第四章−1
「うわぁ!!凄いっ」
窓の向こう側――風と雨の凄まじさに思わず声を上げる。
硝子をきしませるほどの風が木々を揺らし、叩付けるように大量の雨が大地へと降り注ぐ。
毎年酷いが、特に今年は酷い有様だった。
「電車をはじめ船も飛行機もほぼ全てが運休欠航してますからねぇ」
お茶をテーブルの上に置き、お菓子の用意をしてくれる家政婦さんの言葉に、私は大きく頷いた。
「ですね。これでは行くに行けませんよ」
「にしても、こんな大嵐だというのに旦那様はお仕事なんてついていませんね」
本来なら台風が来る間は家に居るはずの父は、突然入った出張で遠方に赴いていた。
しかも、そこには腕の良い医師がいるという事で、母も連れて行っている。
私も行くはずだったが、帰ってくるのが1ヶ月後という事で諦めたのだ。
もし行けば、台風が終わった後は、那木達の家に行くという約束が果たせないで終わる。
両親は中々納得してくれなかったが、住み込みの家政婦さんを始め、運転手さんやその他数名の
お手伝いさん達がいるから大丈夫と何とか説得した。
皆、私の父と母が見つけて来た人達だ。
何でも、苦しいところを助けられたとかで、両親に心から仕えてくれている人達ばかりだ。
「大丈夫ですよ、旦那様達が帰ってこられるまでは私達がきちんとお世話しますから」
そう言ってくれる家政婦さん――磨南夏さんがにっこりと微笑む。
磨南夏さんは特に古参の家政婦さんであり、料理人をしてくれている旦那さんと一緒にこの家に仕えてくれている人だ。
何でも、二人は元々親が居なく孤児だった所を父が引き取り、この家の仕事を任せたのが家政婦業の始まりらしい。
今までよほど酷いところばかりだったらしく、きちんとした雇用条件のもとに仕事を提供されたのは初めてだったとか。
ピンハネもせず、働いた分だけ全額給料を渡してくれる上に、生きていく上で必要な知識も全てここで教わったという。
二人とも勤勉だったため、貯金も順調に増え、独立して家を建てられるほどになったものの、大恩あるこの家から
離れたくないと未だに住み込み働いてくれているのである。
しかも、お世話になっているからと逆にお金を払おうとして父に叱られた事もあるぐらいの義理堅い人達でもある。
そんな磨南夏さんには今年4歳になる娘がいるが、これがもう可愛くて可愛くて!!
名を零といい、私はよく遊び相手を勤めていた。
他の家はどうかは知らないが、うちの家は母が体が弱くても父ともども子供好きで、屋敷内を子供達が
走り回っていてもニコニコと笑っているほど大らかだった。
おかげで、子供を連れて働きに来ることも出来、家政婦さん達はよくそれを利用していた。
その為か、子供達も私の両親を旦那様、奥様と慕ってくれている。
それに、子供達も容姿に恵まれない私を馬鹿にするような子はいなく、お姉ちゃんと慕ってくれる。
私としても皆と遊べるのはとても楽しかった。こういう時には、家が広いのはとても嬉しく思う。
そもそも子供というものはジッとしているよりは走り回って遊ぶほうが好きなのだから。
「さあ、用意が整いましたよ。お茶にしましょう」
「は〜い♪あ、じゃぁ他のみんなも呼びますまね」
内線電話を取り、お手伝いさん達に連絡すると、ほどなく全員が集まった。
そうして賑やかなお茶会が始まった。
「かいり〜〜、だっこ〜」
「こ、これっ!」
零が私にだっこを求めてくる。
その様子に、零の母である磨奈夏さんが青ざめるが、私は大丈夫と手を振った。
既に子供を職場に連れてこれるというだけで申し訳ないのに、主人の娘に子供が甘えるなどとんでもないと考えているのだろう。
だが、寧ろ私は大歓迎だった。
抱き上げると、ほんのりと零の髪の毛からシャンプーの匂いが鼻をかすめる。
因みにこのシャンプーは元々私が使っていたものを零がうらやましがったのでプレゼントしたものだ。
「かいり、ドーナッツ食べたい」
「零っ!!」
「いいんです、はい、ドーナッツ」
零が大好きなチョコレートのかかったものを選び手渡すと、美味しそうに食べ始める。
すると、それを見ていた他の子達が私の所に集まってきた。
「わたしもかいりのひざにのるぅ」
「だめ!ぼくがのるのっ!!」
1人や2人ならまだしも、此処に居る子供達は総勢10人。
その子達が全員で騒ぎ始めるとちょっとした騒動となる。
いや、ちょっとどころじゃないか(汗)
「れい、かいりちゃんからはなれて!」
「やぁぁぁぁっ!!」
零が余計に私にしがみつく。
元々、零は赤ん坊の頃からよく私に懐いてくれていた子で、歩けるようになった今もよく
私の後ろをトコトコとくっついて来た。
そればかりか、ある時などは那木と椎木に馬鹿にされていた私を見て那木達の股間に
右ストレートを叩き込むという報復をしてくれた。
因みに、それ以来那木と椎木は零を苦手として、零が居る所では私を馬鹿にする事はなくなった。
うん、あれはとても痛そうだったから気持ちは分かる。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!!」
とうとう零が泣き出す。
「あぁ!!ほら、今から絵本を読んであげるから」
「えほん?」
「それよりこっちがいい!!」
「え?」
零の喧嘩友達にもなっている鴇が一冊の本を差し出す。
その本のタイトルは
『イカの生態について』
「・・イカ?」
「おれ、いつかイカつりぎょせんにのってたくさんイカつってさしみでたべるのがゆめなんだっ!!」
「イカつり漁船・・・・」
「うん、おれしょうらいりょうしになる!」
「・・・・・・千鶴子さん?」
鴇の母である千鶴子さんを見ると、彼女は恥ずかしそうに目をそらした。
それもそうだ。
千鶴子さんはこの家のお手伝いさんだが、旦那さんは有名な武将の一人で、鴇も将来はと嘱望されている身だ
それが、漁師・・・・・・いや、漁師だって大切な仕事だ。だが、人には向き不向きがある。
鴇は釣りに行っても今まで1匹もつれないほど釣り下手だ。
鴇が川やら海に近づくととたんに魚が一匹もいなくなるのだ。
おかげで、鴇は港に近づくのを禁止されていたりする。
そりゃそうだ。漁師さん達にとって魚がいないのは死活問題になる。
「かいり、しってる?うみがあれたあとのはまってたくさんかいとかあるんだって!!」
「あ〜〜、そういえばそうだね。なら、今みたいに台風の時はもう沢山打ち上げられてるね」
「そうなの?!」
「うん、前に魚とかも沢山打ち上げられてるのを見たことがあるし」
その言葉に、鴇が目を輝かせた。
鴇はお肉よりは魚の方が大好きな5才児だ。
そんな彼にとって、魚が沢山打ち上げられているという状況はまさに絶景といえよう。
「あ、でも危ないから行くとか考えちゃだめだからねっ!!」
きちんと釘を刺す。
すると、鴇は珍しく分かったと素直に頷いた。
が、後に私はこの時の会話を心底後悔する羽目となる。
「かいり、わたしおにんぎょうさんごっこしたい!!」
「わたしはおままごとっ!!」
零のおねだりに、他の子も次々とねだりはじめる。
「いや、絵本を読もうかと」
「おにんぎょぅさんごっこのほうがいいっ!!」
「おままごとっ!!」
どうやらその二つで割れたらしい。
バックに炎を燃えたぎらせて言い合う子供達に思わず後ずさった。
すると、鴇が自分のお気に入りのあの『イカの生態について』を手に叫ぶ。
「このほんをよむんだっ!!」
「「やだっ!!」」
新たな喧嘩が勃発した。
お昼頃。
お昼寝するべく布団に転がっていた零達がようやく眠り始めた。
起こすとまた大変なので、気配を消す勢いで静かに部屋の外に出ると、ようやく一息ついた。
そして先程までお茶会をしていた居間に向かうと、そこでは子供達が大騒ぎして散らかした室内を
親でもあるお手伝いさん達が片付けていた。
「すいません、お嬢様。うちの子達が」
「気にしないで下さい、私も楽しかったですからvvあ、手伝いますね」
お手伝いさんが止めるにも関わらず、私も雑巾を手に取り掃除を始める。
性格上、細かい所までやらないと気が済まない私はそれこそ部屋の隅まで雑巾で拭く。
続いて、窓を拭き始めた時だ。
「・・風と雨が収まってる?」
見れば、あれほど凄かった雨風が治まり、空には青空さえ見えた。
すると、お手伝いさんの一人が言った。
「きっと台風の目に入ったんでしょうね」
台風の目。丁度台風の中心になる部分を言い、ここに入ると天気が回復することをいう。
とはいえ、天気の回復は一次的であり、これにダマされて外に出ると、目から外れた時に大変な目に遭う。
というのも、台風は動いており、時間が経てば目の位置も変わる。
そうすると、目から出てしまった場所は再び台風の暴風域に入ってしまい雨風が強まるのだ。
「今回の台風の大きさからして、完全に目が移動するのは2時間もないでしょうね」
そうして1時間後。ようやく居間は元通りになった。
一息ついた家政婦さん達に私自ら入れたお茶を振る舞い、また昨日作って冷やしていたゼリーを振る舞う。
絞りたての果汁で作ったそのゼリーは大人気だった。
「本当に美味しいです!はぁ・・何時も思いますが、お嬢様は本当に素晴らしいですね♪」
「はい?」
磨南夏さんの言葉に、私はキョトンと首をかしげる。
「お料理も上手ですし、お掃除も完璧。気遣いもあって礼儀作法も全く非の打ち所がありませんわ。
きっと将来は良いお嫁さんになれますねvv」
とびっきりの笑顔で磨南夏さんがそう言うと、他のお手伝いさんもうんうんと頷いた。
「え、いや、私みたいなブサイクは完璧に嫁き遅れますって」
「まあ!!そんな事ありませんわっ!!お嬢様は完璧ですっ!!」
何処がですか?!と心の中で突っ込むが、磨南夏さんの気迫に口には出せなかった。
「私の予想では、お嬢様の結婚は早いと思いますわvv」
「そ、そうですか?」
「ええ!!お嬢様の外見だけでなく全てを愛して下さる方がきっと現れますわ!!」
「そ、そうですか・・」
「そうですよ!!でも、私の予想としては蒼麗様もかなり結婚が早いと思われますけど」
友達の名前が出た事に、私は茫然自失の状態から立ち直る。
「そうね、あの方も結婚は早そうよ。お嬢様の方が素晴らしいけど、あの方もとても素晴らしくて」
他のお手伝いさん達もうんうんと頷く。
「あ、聖様もじゃない?」
学園の女王である聖は生徒達からは様付けで呼ばれるのが普通だが、何故かうちのお手伝いさん達も
聖を様付けで呼ぶ。
「勿論、聖様よ。あ〜あ、いい子って本当に先に売れていくのね」
まだ売れてません。私も蒼麗も聖も独身です。
「けど、お嬢様がお嫁に行ったら寂しくなりますわね」
「まあ!!お嬢様はお嫁には行きませんわ!婿を取るのです」
「そうです!!婿養子をとられてこの家に居てもらわなければっ!!」
確かに私は一人娘だからそうなるだろうが、何故だろう?
家政婦さん達のこの気迫は。
「そ、それよりっ!!もう3時だし、夕食の下準備をしましょうか!」
今日のメニューはビーフシチューにシーザーサラダ、手作りパンという中々時間のかかるものばかりであり、
今から準備しなければ間に合わない。
すると、お手伝いさん達はそうだったとばかりに動き出す。
「私は食料庫で調味料を探してきますね」
「私は野菜を切りましょう」
「なら、わたしがパンを作るわvv」
お手伝いさん達が腕の見せ所とばかりにそれぞれ配置につく。
そんな時だった。
「零に薬を飲ませるのを忘れてたわっ」
材料を確認していた磨南夏さんが声を上げる。
数日前から風邪気味の零は昨日病院から薬を貰い、1日三回飲むことになっていた。
しかし、一人では絶対に飲まない。よって、魔南夏さんが飲ませに行かなければならない。
「すいません、ちょっと行ってきますね!」
「ゆっくりでいいわよ!あれだったら他の子の様子も確認してきてくれたら嬉しいし」
「ええ、ついでに見てきますね」
そう言うと、磨南夏さんがパタパタと走っていった。
「うわっ、今回のビーフシチューは豪華そうですね〜」
私がそう言うと、側に居たお手伝いさんが期待してて下さいなと笑う。
それに笑い返しながら、私も何か手伝えないかと声をかけようとした時だった。
「大変っ!!子供達がいないわっ!!」
磨南夏の叫びが屋敷内に木霊した。
top/next