第五章−2






突然の漂流者である私達に、船の人達は優しかった。

「すいません、ご迷惑かけて」
「気にすることないよ。困った時はお互い様だから」

そう言うのは、船内にある医務室の医師だった。
ベットで眠り続ける蒼麗の隣でひたすら頭を下げ続ける私に、医師は優しく笑った。

蒼麗は助けられた後、今まで張っていた緊張の糸が切れたかのように倒れ、医務室へと運ばれた。
私も運ばれたが、意識を失うほどではなく濡れた衣服を着替え、その時に見つけたかすり傷に薬を塗るぐらいだった。
看護婦さんが煎れてくれた温かい紅茶一杯飲み干し、ようやく一息つく。

「それで、色々と聞きたい事があるけど大丈夫かい?」
「あ、はい」

たぶんあんな所に漂流していた事情を聞くのだろう。
さて、なんて応えるか。

「えっと、どうしてあんな場所まで流されていたんだい?」
「その、人を探していたんです」

これは嘘ではない。

「それで、海の方に向かったと人から聞いて行ったら、私の知り合いの子が海に落ちかけていて」

少し話を脚色する。

「それで慌てて引き上げたら私が落ちてしまって。で、そんな私を助けようと一緒に来ていたこの子も飛び込んでしまって」

蒼麗の方に視線をやり、私は俯いた。
大きな嘘はついてない。うん。

「そうだったのか・・なら、今頃港は大騒ぎだな」
「ど、どうでしょう?その時人がいなかったので、もしかしたら落ちている事も気付いてないかも」
「なら、早くに連絡して置いた方がいいな。まあ、向こうも台風への準備で大変だろうけど」
「台風・・ですか?」
「うん、今どんどん北上してきていて、もうすぐこっちにも来るだろうという事だ。ただ、観測点が海にないのが問題でね」
「え?じゃあ、今台風は」
「ああ。陸を通り越して海に出てる。けど、進路ではそのまま北西に向かうんじゃないかって」
「でも、近づいてるんだったら船を出したら危ないんじゃ」
「いや、台風の進路を予測した所、こちらは風上になるから航行するのは大丈夫だろうって事になったんだ。
他にも幾つかの客船や貨物船が既に航行したり、航行を開始しようとしてるし。けど、風や雨が出てきたからなぁ。少し心配だよ」

何でもこの船は、北の大地の南の玄関口から、海峡を挟んだ南の大陸に向かう途中だという。
そこまでは、時間にして5時間ほどだが問題はその海峡。普段から海流のきついそこは、ベテランでも緊張する場所らしい。
もし、そこを通る際に雨風が強くなれば大変な事になるのは間違いない。

「けど、この船は最新式だし、まあ大丈夫だろ」



何でも、この船は荷物と乗客を運ぶ連絡船の中では一番設備の整っている船らしく、安心させるように医師に、
私はそうですねとだけ応えた。

だが、私の中にくすぶる不安の火種は消えることはなかった。

「で、君たちには申し訳ないけど、こういうわけだからなるべく早くに向こうの港についてしまおうって事で戻ることが出来ないんだ。
だから、向こうについてから、台風が通り過ぎた後でまた連絡船にのるか何かして帰る事になると思う」

申し訳なさそうに言う医師に、私は頷いた。

「いえ、此方こそ危ない所を助けて戴いて有り難うございます」
「いや、気にせずに。にしても、君って今頃の子供にしては礼儀正しいね。その」
「こんなにブサイクで太りすぎなのに、ですか?」
「え、えっと・・」
「気にしないで下さい。何時も言われてますから」
「そ、その・・すいません、思いました。でも、ぼくとしては君みたいな子って好きだよ」
「はい?」
「確かに綺麗な子は見ていて気持ちいいけど、人間ってそれだけじゃないだろ?ってぼくは思うんだ。
まあ、これもぼくの女運が余り良くなかったからかもね」
「そ、そんな事は・・」
「それに、体型なんてそんなのは案外あっという間に変わるもんだよ」

そういう医師に、私は自分の体型をみた。
昔から太りすぎのこの体は、今では標準+20sという巨体だ。

増えることはあっても減ったことは一度もない。


「さてと、ぼくは少し席を外すけど、もう暫く休んでてくれ。もしかしたら他の職員も事情を聞きにくるかもしれないけど、宜しく頼むね」
「はい、どうもありがとうございます」
「食事の方も頼んどくから」

そう言うと、医師は看護婦と共に医務室を出て行った。

後には、私と蒼麗だけが残される。



「はぁ・・・・・この先どうなっちゃうんだろ」

まだ迎えは来ない。
一応医師には漂流の理由をごまかしておいたが、詳しく調べられれば自分達のような存在はいないと気付かれるだろう。
その前に、どうにかして向こうに戻らなければ。

「にしても・・観測点が海にないって・・」

自分達の住まう所には、観測点は至る所にあり、台風はおろか、ハリケーンの向かう先まで予測可能だ。
特にハリケーンは、到達する3時間前には警告を出すことが出来るようになっている。
3時間。身の回りのものを準備して逃げ出すには充分な時間だろう。また、ハリケーンがよく通る場所や逃げる時に
道が狭い場所などは、すぐ近くに避難所が設けられる。そこには食料や水、その他必要な物が設置されているばかりか、
地下道を通って別の避難所や、他の地区に逃げることが出来るという利便さもある。


それもこれも全ては、防災を司る部署の人達の力のいれようが並大抵ではないからだ。

「ってか、こんな時に船なんて出さないで」

いや、船を出してくれたからこそ私と蒼麗は助かったのだが。

「けど、何か嫌な予感がするなぁ」
「私も」

聞こえてきた声に、驚いて振り向くと、ベットで寝ていた蒼麗が目を覚ましていた。

「私も、嫌な予感がする」
「蒼麗も?」
「うん」


そう言うと、蒼麗はゆっくりと立ち上がり近くの窓を見た。
そこから、外が見える。

蒼麗に倣い私も近づき、言葉をなくした。

私達が海にいた時とは比べものにならないほどの風が吹き荒れ、雨は豪雨というのが相応しいほどの土砂降りだった。

しかも、立ち上がった事により、船が思った以上に揺れていた事に気付いた。

「どんどん酷くなっていってる」
「うん・・」
「もしかしたら・・この船、一番やばい時に出航したのかも」
「え?」

不安そうに私が聞き返すと、蒼麗が安心させるように微笑んだ。

「ごめん、不安にさせて。大丈夫、きっと無事に着くよ」
「う、うん・・」
「それに・・・優しい人達で良かったよね」

蒼麗がこの船の人達の事を言っているのだとわかり、私は笑顔を浮かべた。

「そうだねvv・・・でも・・」

一つだけ気がかりな事があった。
皆優しく労ってくれた中でも、一番労ってくれたのはこの医務室の主であるあの医師である。
しかし、私を初めて見た時、まるでお化けでもみるかのように顔を歪めた。
それは本当に一瞬だけではあったが・・・・・。最初は私が余りにもブサイクで驚いたのかとも思ったが、それとも少し違う気がした。


まるで、居るはずのない人間が生きているのを見たかのような・・・・・そんな顔。


しかし、その後は何事もなかったかのように医師は私達を此処に連れてきてくれて、介抱してくれた。
そこには義務だから仕方がないという空気はなく、心底私達を心配し労ってくれる優しさに溢れていた。


私の顔をの擦り傷を治療してくれた時などは、元が悪いから目立ちませんと言った瞬間に思い切り怒られたりもした。
自分を卑下にする事なんて言ってはいけないと懇々と説教をする医師からは嘲りは見えず、ただただ優しさに溢れていた。

どうしてあんな顔をしたのだろう?


今でも心の隅にひっかかって消えない問い。


もしかしたら私に向けられたものではないのかもしれない。
けれど・・・・どうしてか気になって仕方ないのも事実だった。


「ゴホゴホっ!」
「っ?!蒼麗、大丈夫っ?!」
「う、うん、ちょっと喉が痛かっただけ」
「それじゃあお茶か何か飲んだ方がいいよね」


私は近くのテーブルに置かれた、先程看護婦さんが使っていたポットを手に取った。
だが、中が予想以上に軽く、蓋を開けて見れば空だった。


「と、お湯お湯」


やかんを手に取れば、そこにはなみなみとお湯が入っていた。
しかし、今度はお茶の葉が見つからない。


「・・調理室で貰ってくるしかないかな」
「華依璃ちゃん、そこまでしなくても」
「蒼麗は此処にいて。すぐに戻ってくるわ」


私はポットをテーブルの上に置くと、医務室の扉を開けて廊下へと出た。


「うわっ!とっと」


廊下に出て扉を閉めた瞬間、大きく船が揺れる。
近くの壁に掴まり体を支えながら、ゆっくりと脚を進めた。


船は絶え間なく揺れ、バランスを崩せば廊下を転がっていくかもしれない。

「やっぱり嫌な予感が当たるかも・・」

壁によりかかるようにしながら歩いていくと、向こうに道案内の看板が見えた。
丁度T字路になっている場所であり、左に行けば操舵室に、右に行けば調理室及び客室と書いてある。

「ついでに何か食べるものとかも貰えないかな」

助けられて安心した事で、私は耐えられないほどの空腹を感じていた。
助けて貰った身で厚かましいが、何か食べさせて貰わないとこのまま倒れてしまいそうだ。
あ、蒼麗にも何か持って行こう。


そうして後10メートルほどの位置にT字路が迫った時だった。

「っ?!」

強烈な匂いが私の鼻を襲う。
まるで野菜や魚が腐ったような強烈な腐臭。
慌てて鼻を手で押さえる。

「な、何?」

それはT字路の右側――調理室へと向かう方から漂ってきた。

「もしかして・・野菜や魚を腐らせた?」

調理室であればこの匂いも納得だ。
いや、仮にも料理をする場からのこの匂いを納得してはならないが、こういう腐った匂いは食材が
ある場所からするのが普通である。

「うわぁ・・絶対に服や体に染みつくよ、この匂い」

それどころか、あれほどの空腹感がホームランで飛んでいくボールの如く何処かに飛んで行ってしまった。

「ってか吐きそう・・・」

余りの匂いの強さにもう一歩も進みたくない。
そう思った時だった。

「あれ?」

ようやくT字路を右に曲がると、かなり向こうに黒い人影が見える。

「あれは・・なんだろう?」

と、その影が此方に近づいてくるように見えた。
最初は本当に小さな陰が、どんどん、どんどん

「あ、あれ?」

立ち眩みが起き、体から力が抜ける。

やばい、貧血か?!


下手に動くと頭をぶつける可能性もあるため、私は暫く床に座り込んだまま静かに目をつぶった。
それから、5分もたっただろうか?ようやく体が落ち着き、ゆっくりと目を開ける。


「血が足りないのかなぁ」


近頃あまり鉄の含まれたものを食べてなかったから、もしかしたらそのせいかもしれない。

と、そこであの黒い人影を思い出した。
立ち眩みが起こる前、あの人影は私に近づいてきていた。
となると、いきなり座り込んだ私に驚いたかもしれない。


が、辺りを見回すと、あの黒い人影は何処にもなかった。
もしかしたら驚いて誰かを呼びに行ったのかも。


「・・・さ、騒ぎになっちゃうかも」

人を連れて戻ってくるとなれば、此処にいなければもっと大変な事になる。
そう想い、私はしばし此処に留まった。
10分、20分・・・・そして30分。だが、誰も来ない。


「・・・もしかしたら、私の見間違いだったのかな?」

あの人影は、立ち眩みを起こした私の幻覚だったのかと考え始める。


「って、これ以上此処に居てもどうしようもないよね」

それどころか、あんまの遅くなると蒼麗が心配になる。
早くお茶を貰いにいって戻らないと・・。

「?そういえば・・・あの匂いがない」

あれほど強烈だった匂いが全くしない。
クンクンと辺りを嗅いで回っても、拍子抜けするほど何の匂いもしなかった。

「ど、どういう事?」

思わず首をひねる。
あの匂いも私の幻臭?
いやいや、あれも幻臭だなんてありえない。

あんなにはっきりした匂いだったのだ。

「・・もしかしたら、調理室の方できちんと処理したのかな?」


そんな考えが浮かぶ。

「ん?」

鼻が何かの匂いを捉える。
と、その瞬間お腹が大きくなった。


美味しそうな料理の匂いが調理室の方から漂ってきたのだ。

「・・・・やっぱり食べ物も貰ってこようvv」

すっかりなくなっていた食欲が再び込み上げてくる。
今ならきっと丼飯三杯は軽いだろう。

私はこの体型を維持出来るほどの持ち前の食欲を満たすべく、またお茶を貰いに行くべく調理室へと走ったのだった。






top/next