入学式は波乱に満ちて-8
蒼麗は走っていた。目指すは、受賞者達の居る部屋。
そこで、何としても製作者を見つけると同時に、暗殺者達を探し出すのだ。
向こうは、受賞者達を殺そうとしているからには、必ずや暗殺者達はそちらに向かう。
いや、今も影で伺っている筈だ。最大の好機を。
既にこのホールごとを潰そうとしてるとはいえ、一番大切なのは製作者を殺す事であるのだから。
その製作者が居るとされている、受賞者達の部屋は最も危険な場所と化しているだろう。
他の者達などどうでもいい。製作者を必ず仕留める為に――それこそ、抹殺する為のあらゆる手段が施される筈である。
それを、その最も危険な場所に居て迎え撃つ。
「力なしの私だけど、そんな私にでも出来る事は一つぐらいあるわ」
そう呟く蒼麗は、次の角をそのままのスピードで曲がった。
と、突如出てきた二つの影。
「へっ?!きゃっ!!」
スピードをつけて居た為に止まり切れず、蒼麗は見事に目の前の黒い影にぶつかった。
そのまま、反動で後ろへと体が傾いていく。それを必死に手を振り回すことで体の平衡を保とうとするが上手くいかず、
あっという間に後ろにひっくり返っていく。
ガシっ!!
最後まで伸ばしていた自分の両手を、夫々強い力で捕まれる。それに伴い、後ろに倒れ掛かっていた体が動きを止める。
自分の両手を掴むのは――2本の腕。それも、一人の者ではなく、別々の者。
その2本の腕に続くその先に視線を向け………蒼麗は目を見開いた。
「銀ちゃん!緑ちゃんっ!!」
青輝の側近の二人にして、自分の護衛を勤めてもいる二人の青年――緑翠、そして銀河はにっこりと微笑んだ。
と、蒼麗の体が引き上げられ、きちんと立たせてくれた。
「あ、ありがとう!」
すると、銀河が蒼麗に視線の高さをあわせ、静かに問いかけた。
「お怪我はありませんか?」
その言葉は、銀河の優しげな美貌に勝るとも劣らない優しさに満ちていた。
体に染み渡る心地よさに、蒼麗は酔いしれながらもはっきりと大丈夫だと応える。
すると、銀河がホッとした様に息を吐き、それはそれは温かい――蒼麗が大好きな笑みを浮かべて微笑みかけてくれたのだった。
緑翠と同じく、自分の護衛を青輝に命じられた一人である銀河の事もまた、蒼麗は大好きだった。
そんな銀河は、優しくたおやかにして、品位を極めた柔らかい物腰を持つ美男子として、また青輝からの
信頼も厚い存在として名高かった。その上、緑翠と同じく文武両道、容姿端麗、その他の多くの才能に恵まれている上に
名門一族の長子でありながら、常に努力を忘れず、奢ったところもなければ、下の者を思いやり、上を敬う謙虚さと心の広さも
兼ねそろえている好青年でもあった。故に、そんな彼は非常に女性にモテる。縁談も星の数であるばかりか、人妻からも
言い寄られていると聞いている。
だが、銀河はそういった誘いも縁談も受けない。何故なら、彼には既に許婚が居るからだ。
そしてその許婚唯一人を愛している。美しく、気高く凛として美少女であり、その心もまた気高くも優しい唯一人の愛する人を。
そう――緑翠の姉――暁春だけを。
銀河は緑翠の未来の義兄となる予定を持つ存在でもあるのだ。
因みに、緑翠は緑翠の方で、実は銀河の妹と婚約をしていたりする。なので、緑翠にとっては銀河は姉の夫である事による義兄としての存在であり、
また銀河の妹を妻にする事によって銀河の義理の弟になる事による義兄。つまり、二重の意味で銀河は緑翠にとっては義兄となるのであった。
とは言え、緑翠と銀河はそもそも幼い頃から家族同士が仲が良い為に互いの家を行き来しており、銀河にとっては弟、また緑翠にとっては銀河は
兄代わりのような存在であり、夫々が義理の兄弟となる事には何の抵抗もなかった。寧ろ、その関係を喜んでさえいる。
確かに、能力等は年上でもある銀河の方が少し上だが、共に青輝の側近として召抱えられ、のし上がってきた戦友である事も、彼らの友情を強めているものの一つであろう。と共に、蒼麗の護衛についてからは、その友情は更に強いものとなった。
そうして、有事の際には影から見事な連携でもって蒼麗を守り抜くのだ。
が、蒼麗にとってはそんな事はどうでも良かった。
自分を守ってくれるから好きなのではない。唯、緑翠と銀河自身が好きなのだ。
それは、妹が兄に対する愛情と同じものと言ってもいいだろう。
一方、純粋に自分達を慕ってくれる蒼麗を、緑翠と銀河もまた心から大切にしていた。
本来ならば、こうして対等に口を利ける存在ではない。けれど、公式の場はともかく、こうした場所ではそんなもの全てを吹っ飛ばして
惜しみない、溢れんばかりの好意を向けてくれる。最初こそは呆れもしたし、そんなに感情を露にする蒼麗に不満も持ったが、
今ではそれすらも心地よくなってしまった。
この風変わりの少女に感化されたせいかもしれないが、喜びこそはあっても不満は微塵もなかった。
それに、感化されたせいか、幾分昔よりも柔らかく優しくなったらしい自分達の事も嫌いではなかった。
また、あの怜悧冷徹冷酷非道な主達にさえ、瞬時にその中に眠る優しさを引き出させてしまうのは、蒼麗位であろう。
それか、蒼麗の母ぐらいである。
そんな――稀有なる力を持つ少女。
自分達に、尊敬し心から慕う主達の違った一面を見せてくれた少女。
蒼麗がいる限り、主達は大丈夫だ。決してその闇に取り込まれたりしない。
優しさを、心の中に秘めた光を消し去りはしない。
時に見せる優しい笑顔を、優しい気遣いを、優しい態度をとる主達。
昔では考えられない事だけれど
けれど、それを知ってしまった自分達にはかけがえのないものとなった
そして、それをさせられるのは蒼麗だけである。
だからこそ守らなければ。
自分達にとってもかけがえのない存在。
そして自分達が敬愛する主達にとっても掛け替えのない存在。
だからこそ……守り通す。
その身に降りかかる災厄を振り払う。
蒼麗が危険な場所に向かおうとするのならば――なんとしてでも止めにかかる。
そう――自分達は蒼麗を止めに来たのだ。
だからこそ、主達に起きた異変――あのクソムカつく術が発動されても此方に来たのである。
それに――きっと、主達ならばそんな術を打ち破ってくれるだろうと信じてるから。
例え力の殆どが封じられていても、主達の力は普通の者とは比べ物にならぬほどに強く、凄まじい。
その力の強さに、強力な封印が幾重にもかけられてもなお漏れた力の強さに畏怖を覚える事もあるが、
それが主達であるならば大丈夫だ。そう信じきれる。
今この時、主達が必ずや怪我一つなく戻ってくると信じる強さと同じ位に。
けれど――主達とは違って力なしの蒼麗が危険な場所に飛び込めば、命すら危うい。
それまで黙っていた緑翠がゆっくりと口を開いた。
「蒼麗様――どうか、俺達と共に安全な場所へ」
「……緑ちゃん?」
呆然とする蒼麗に、銀河も口を開いた。
「緑翠の言うとおりです。どうか、私達と共においでくださいませ」
そうして、伸ばされる腕。それに恐怖を感じ、蒼麗は寸での所でそれを交わし、距離をとった。
「蒼麗様」
「……いや」
その言葉に、緑翠と銀河が辛そうに顔をゆがめる。
だが、それでも蒼麗は譲れなかった。
彼らは自分を安全な場所に連れていく。けれど、それは自分一人だけが安全な場所へと連れて行かれるということだ。
他の皆をこの危険な場所に置き去りにしたまま――。
そんなの、認められない。受け入れられない。
だって、私は自分に出来る事をやると決めたのだから――
このまま、連れ戻される気は全くない。
蒼麗は、素早く周囲に視線を巡らせると、二人の隙を突いて先を突破する。
「お待ちくださいっ!!」
二人の声がすぐ間近から聞こえてくる。だが、止まってはいられない。捕まったら最後だ。
蒼麗は力の限り走った。
「はぁはぁはぁっ!!」
角を右に曲がり、左に曲がり、目的地を目指す。先に受賞者達の部屋に入ってしまえば此方のものだ。
騒ぎを起こしたくない銀河達は絶対に立ち止まる。
しかし――思いのほか二人の足の速さに、そこまで持つか心配になってきた。
勿論、普通に考えれば常に鍛錬を欠かすことがないばかりか、あらゆる武術や武器に精通している超一流の武人、しかも
10代後半と20歳ほどの男性にたかだか12歳の少女の脚で逃げ切れるはずがない。
とは言え、蒼麗も逃げ足だけは超一流と言われおり、大抵はこの脚で逃げ切れる。
だが、この狭く複雑なホール内の中では限度があるのも確かだ。
「うぅ〜〜捕まってたまるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああっ!!」
と、その時蒼麗の視界が急に開けた。
そこは、ホール内のロビーだった。
蒼麗の脳裏に、とある計画が思いつく。
「よし、一度外に出よう!」
そこで撒いて、もう一度中に入り込む。勿論、余り時間がないから手早くしなければ。
そうして、蒼麗はスタコラとホールの出入り口へと駆け寄り、ガラス張りの両開きタイプの扉のとってに手をかけた。
ガチャガチャガチャ
「……あれ?」
閉まってる?
まさかと思いながら、もう一度扉を開けようととってを握り締め
ガチャガチャガチャ
やはり、開かなかった。
「ど、どうして……」
もしかして……防犯の為に締め切っているとか……………。
それは、有り得なくもない考えである。
だが、それが自分の思い違いである事を、蒼麗はほどなくして知る事になるのだった。
「どうしよう………ん?」
扉を下から上へと見上げ、何とかして外に出られないかと考えていた蒼麗の瞳に、見覚えのないそれが写る。
「な、何あれ?」
ガラス張りの扉の上部に描かれた不思議な紅い紋様。見た事のないそれに、蒼麗は首をひねった。
「何かの御呪い?でも――さっき此処を通った時には何もなかったと思うけど……」
一番最初に此処に来て、クラスの皆と共に此処を通った時には、こんなものはなかった。
だが、今ははっきりとその紋様はガラスに描かれている。
「一体、これは……」
「「蒼麗様」」
「ひっ!」
後ろから聞こえてきた麗しい二つの美声に、蒼麗は悲鳴を上げた。
が、逃げ出す事は出来なかった。伸びてきた4本の腕が蒼麗の体を絡め取る。
「もう逃がしません」
「さあ、安全な場所に行きましょう――と、都合のいいことに、外に出る為の扉がありますね。さあ、行きましょう」
「ま、待って!!」
出ましょうって言われても、その扉は
しかし、蒼麗の制止にも関わらず、銀河がその扉を押し開こうとした。
ガチャガチャガチャ
「……開かない?」
「へ?」
先程蒼麗が挑戦した時同様に、扉は開く事はなかった。
「やっぱり……」
「やっぱりとは?」
「さっき私が試した時も開かなかったの。それで、あの上の奴」
蒼麗の指差した方を見つめた二人の目に、その紋様が映りこんだ。
「あれは」
「私が最初に此処を通った時にはあんなものなかったと思うの」
「当然です。あんなもの、さっきまでなかったっ」
さっき――それは、一番最後の入学式参加者がこのホール内に入って30分ほどの事だ。
その時、銀河はこの場所を通ったが、あんなものはなかった。それに、扉も普通に閉まっていた。
だが、異変はそれだけではなかった。
「ってか、どうして此処には誰も居ない?此処には、青輝様の命を受けた者達が数人居る筈だ。しかも、元々いる筈のロビースタッフも居ない!」
最高級の絹のソファーや美しいガラス細工のテーブルと、そこから外を眺められるようにと作られた壁一面のガラス張り。
緑の瑞々しさを取り入りるべく、部屋のあちこちに置かれた観葉植物。そして絶妙な部屋の色使いと、ふかふかの絨毯。
そんな――まるで、ホテルの様な造りをした広いロビー。また天井も高く、広い空間を確保しているその奥に、このホールの受付場所はあった。
そこには、常にこのホールのスタッフが控えている。
しかし、今そこにも誰も居なかった。
これはどう見ても可笑しい。
「職務怠慢……なわけはないよな」
特に此処に配置された者達は皆青輝に心酔している。彼の為ならば命だって投げ出せるだろう。
「あの」
何処かすまなそうに蒼麗が声をかけてきた。
「どうかなさいましたか?」
優しく問い返す銀河に、蒼麗が口元を覆いながらか細い声で言った。
「何か……気持ち悪くなってこないですか?」
「え?」
「実は、二人が来て少ししてから、何だか気持ちが悪くなってきて……なんだろう、この臭い」
その言葉に、銀河と緑翠は辺りの臭いを注意深く嗅ぎ――即座に動いた。
緑翠が蒼麗と向かい合うようにその体を自分の下に引き寄せ、銀河が案内所である広く大きな造りをしたカウンターの後ろに回りこむ。
そこにあったのは
「……酷い」
目をかっと見開いたまま、体の関節があらふ方向に曲がったもの。
または、首から上がないもの。手足が引きちぎられているもの。
そればかりか、体の半分がどこかになくなっているもの。それらが、自身が流した夥しい血溜まりの中に浮かんでいた。
そしてそれらは……全て、見覚えのある者達。青輝の側近達と――このホール内の係り達であった。
銀河の中に、怒りとやり切れなさ、そしてその命を無駄に散らせてしまった事への悔しさを感じる。
唇をかみ締め、緑翠のほうを見ると、銀河の視線で彼も悟ったらしい。辛そうに顔を伏せる。
それも当然だ。幾ら、他人などどうでもいい自分達でも、この者達の一部は共に青輝への忠誠を誓った者達。
その手首に、自分達と同じく青輝に忠誠を捧げた証――月耀紋が刻まれた銀のアンクレットを嵌めた仲間、所謂戦友だ。
どうでもいい――と割り切る事はできなかった。
「ちくしょう……」
銀河が、カウンター内を見下ろしながらそう吐き捨てた。
数人分の遺体から流れ出した血液が静かに波打つ。これらが異臭の元なのだろう。
だが、それほど大量の血液が蒼麗達の居る場所に流れてこなかったのは、カウンター内が、その外よりも10cmほど低く作られていたからだ。
その為、カウンターの出入り口より血が外に向かう事はなかった。しかも、見ればカウンターの上には見た事のない香炉が白く細い煙を上げていた。
その匂いには覚えがあった。それは、その昔戦争などが多かった地域で発明されたもの。道端に転がる戦死者や餓死者などから発せられる
血の臭いや死臭などを消す為に作られたものだ。だが、やはり物には完璧なものなどなく、特に臭いに敏感なものには感づかれてしまう。
と、銀河はふと浮かぶ遺体達の中に違うものが混じっている事に気がついた。
それは、自分達の仲間達の遺体と――このホール内の係り達の遺体である。
「……これは……」
自分達の仲間達の遺体は、殺されてから1時間も経過していない。だが、ホール内の係り達の遺体は最低でも死後1日は経過している。
つまり、昨日のうちには殺されていたと言う事だ。
けれど――
「それならば、私達が今日見た者達は一体――」
蒼麗達を此方に連れてくる前に、最終的な準備の為に今日は朝早くから自分達はこちらに来て作業をした。
勿論、ホール内の係員達や作業員達とも共に作業をし、入学式の進行についても……計画についても話し合った。
そう、普通に
しかし、その者達はこの遺体の様子から見ると昨日の内には既に殺されている。
では、自分達が話をしたのは、共に作業をしたのは一体誰だったのだ?!
まさか、死人が起きて活動していたわけでもあるまい。
「銀河っ!」
緑翠の声。
「どうしました?!」
銀河が緑翠達の下に駆け寄る。すると、緑翠が人型に切抜かれた一枚の紙を手渡した。
そこに書かれている名は――
「確かその名前……ホールのスタッフの一人のものだよな?」
その言葉に、銀河の中でそれらは繋がった。
やはり、今日自分達が話をしたのは本当のホール内の係り達や作業員達ではなかったのだ!
彼らは昨日のうちに何らかの方法で殺されて、別の場所に遺体を隠されていたのだろう。勿論、血痕等は昨日のうちにきちんと処理して。
だが、それだけではすぐに異変に気づかれる。だから、彼らの代わりとなる式神を使って自分達の目をくらませたのだ。
そして自分達はまんまとそれに引っかかった。
「あいつら……」
犯人は分っている。別の世界からに来た暗殺者達だ。
というか、それしか考えられない。もし、唯の強盗などであれば、普通は金品だけ取っていくだろう。
でなければ、殺した相手を何処か別の場所に隠す。それだけだ。身代わり――それも、生前と同じように
振舞わせる式神を置いておく必要などない。そして、異変など全くなかったように、式神達に振舞わせ、
挙句には自分達のターゲットを此処に誘き寄せた。
但し――その後は上手く行かないようであるが。
しかし、奴等は自分達の仲間を殺した。それだけで、報復に値する相手である。
いや、それよりも何よりも自分達の計画が向こうに式神を通して筒抜けだったという事実が悔しくてたまらない。
幸なのは、筒抜けだったとはいえ、向こうがすぐに暗殺を行えないほどに自分達側が力を持っていたという事だけだ。
「それは違うな」
「誰だっ!!」
天井から降ってきた声。それに驚き見上げれば、そこには見覚えのある者が浮かんでいた。
「ら、羅雁っ!」
漆黒の髪と灰色の瞳を持った妖しいまでに美しく麗しいその青年は、蒼麗が自分の名を呼んだ事に気を良くしたのか軽やかな動きで
床へと着地する。体重を感じさせないその動きは、一種の美さえ感じられた。
年の頃は青輝と同じ位。しかし、その身に纏う威厳と滲み出るカリスマ性と気品は、青輝同様年齢にそぐわないものであり、また
青輝と同じく人を統べる地位にある事を瞬時に悟らせるものであった。
だが、幾ら青輝に似ていても彼は青輝とは違う。その上、彼は青輝のライバルであるばかりか、蒼麗を狙っている。
自分の妻にと望んでいるのだ。故に、彼は銀河達にとっては敵でしかない。
だが
「それは違うとはどういうことだ?」
羅雁の物言いにひっかかるものを感じた銀河は、そう問いただした。
その声音に、その瞳に親密さはない。寧ろ、忌むべき敵に対する鋭さを含んでいた。
「ふん、そのままの通りだよ。確かに、奴等はこのホール内の者達を皆殺しにした。
そして、身代わりとして式神を配置した。全ては、お前達の計画を筒抜けにする為に。だが――奴等が掴んだのは偽の情報だ」
本当の情報は、全て自分しか知らないと羅雁は笑った。
「なんだと?」
ドサっ!
「蒼麗様っ?!」
ホール内の者達を皆殺しにしたという羅雁の言葉に、蒼麗は体から力が抜ける感覚を感じながらその場に座り込んだ。
皆殺し?
じゃあ、あのカウンター内には
ガタガタと震えだす蒼麗を宥めようと緑翠が必死に言葉を紡ぐが、中々上手くは行かない。
それを歯がゆい思いで見つめながらも、銀河は隠していた事実をあっさりと知らせてくれた羅雁に対して怒りを向けた。
「貴様っ」
「こんな所で事実を問いただす方が悪いとは思わないか?――まあいい。何で俺がそんな事をしたかも教えてやろう。
面白そうだったからだ」
最初に暗殺者達に気づいたのは本当に偶然だった。唯、何かやらかしそうな相手だと思って後をつけてみると、
面白そうな内緒話をしていた。つまり、明日の入学式に製作者を含む受賞者達全員を始末すると。
だから、力を貸してやった。巧みに取り入り、彼等が望む力を。
「だが、俺も馬鹿ではない。だから選ばせてやった」
自分達でやるか、それとも他者の力を使うか
そして彼らは選んだ。他者の力を――その後に待つものが破滅だと考える事もなく
「そうして奴等はこのホール内の者達を皆殺しにした。そして、式神を置いたんだ」
但し、その後暗殺者達は間違えた。全てを知る部外者である羅雁を殺そうとした。
「せっかく力を授けてやったのに、奴等は俺に刃向かった。だから、殺されたふりをして、色々と邪魔をしてやったのさ」
殺された者達のふりをした式神達から流れてくる情報を全てすり替え、受賞者達の居る部屋に一つの強力な結界を張ってやった。
「とは言え、あんまり手助けすると均衡が壊れるから適度に手は抜いたけどな」
蒼麗を独り占めする?青輝と蒼花にも意趣返しはしたし。
とは言え、あんな程度の術ではあの二人は直ぐに壊して出てくるだろうが。
「それは本当ですか?」
「でなければ、とっくの昔に本当の情報を得た暗殺者達がお前等の裏をかいて受賞者達を暗殺している。
あいつらがどんどん抹殺対象を広げているのも、自分達の得た情報が間違い続きだという有り得ない事態に焦っているからだ。
後は、お前達も知っているように、背後の奴等の煩い喚き声が原因だがな」
羅雁はくすくすと笑った。
「感謝して欲しいものだな。もし、俺がお前達の情報をしゃべっていればもっと大騒ぎになっただろう。もしくは、情報を入れ替えて
受賞者達には常にお前等の部下達が居て厳重に警護していると分れば、またお前達が暗殺者達の正体を知って動いていると知れば
今頃はとっくに此処は吹っ飛んでいたな」
「貴様……」
「だが、そんな事は起きなかった。ふっ、奴等にはこう流してやったよ。受賞者達の傍にいる者達は全て夫々の学校の入学式関係者達だと。
ああ、ピッタリとくっついている理由も適当なものを流しておいたから、奴等はそれをしっかりと信じている」
「ならば、なぜ此処に居た私達の仲間を殺した」
知られていないのならば、何故っ!
すると、羅雁はニヤリと口の端を上げた。
「簡単なことだよ。奴等に授けた力――魔獣が暴走を始めたからだ。よく見ろ――そいつらの殺され方を」
その言葉に、銀河は先程見た遺体を思い出す。
「っ――」
関節が曲がり、体がばらばらとなった遺体は全て、嚊み痕があった。
「あいつは人の肉を食らうのが好きなんだ」
銀河の握り締めた手から、血が流れ出す。
「そう――とっても美味しかったよ――特に、お前達の仲間はっ!」
その瞬間、銀河の足元から凍える冷気があふれ出す。それと共に吹き上げてきた冷たい風は、銀河の額を覆う髪を揺らし出した。
露となった額。そこに、一つの紋章が浮かび上がる。アイスブルーの光を放つその紋章は――彼の一族にしか現れないもの。
それも、額に現れるのは、当主の直系だけである。
この紋章は、感情が高ぶった時や霊力が高まった時などに現れる。
但し、今回はその両方が相互に複雑に絡み合っての出現だった。
「銀河っ!」
奔流の様な銀河の感情の凄まじさに怯える蒼麗を守りながら、緑翠は必死に銀河を押しとどめようとする。
羅雁に怒りを覚えたのは自分も一緒だ。だが、このまま此処で力を使えば、犠牲者が多数出る。
最初から犠牲者を出すつもりならば此処まで苦労はしなかった。犠牲者を出さないと決めたからこそ、自分達は苦労して此処までやってきたのだ。
それに、下手に奴の挑発にのっては、大変な事になる。
「銀ちゃん、やめてぇっ!」
それまで呆然としていた蒼麗も、緑翠の腕の中から銀河を止めようと必死に叫び続ける。
だが、銀河は止まらない。
「お前は……」
気づかなかった自分が腹立たしい
幾ら、奴の力の前には自分達が及ばないと分っていても
というか、奴が関わっていたからこそ自分達は気づけなかったのだろう
仲間達の断末魔さえ聞き届けることは出来なかった
そんな自分に腹が立つっ!
せめて、力さえ封じられていなければっ!
そうすれば、仲間達の危機だけでも察知する事が出来たかもしれないのに
助けられた――かもしれないのに
「殺してやる」
憎悪に満ちた声が、その魅惑的な唇から齎される。
銀河の手の中に、繊細な装飾のなされた彼の愛鞭が現れる。
遥か昔、幼かった自分に両親が贈ってくれたその鞭は、今では自分の腕のように自由自在に動く。
それは今回も同じだった。
「銀ちゃんっ!」
銀河を止めようと蒼麗が走り出す。だが、すぐに緑翠に抑え付けられた。
「近づいたら駄目だっ!無事ではすまなくなるっ」
既に、銀河の半径3mからは常人、一介の能力者でさえも耐えられない冷気の嵐が巻き起こっている。
あれに巻き込まれれば、何の力もない蒼麗の命はあっという間に凍り付いてしまうだろう。
しかも、現在切れてしまってさえいる今の銀河に、蒼麗の安全にまで気を配れるかどうか……。
気づいた時には巻き添えにしていた………なんて事になりかねない。
勿論、そうなったが最後、銀河は罪悪感と自己嫌悪の余り切腹するだろうが――って、冗談じゃないっ!
「緑ちゃん離してっ!!銀ちゃんを止めなきゃっ!!」
「駄目ですっ!!もし貴方様に何かあったら俺は青輝様に顔向けが出来ませんっ!!」
寧ろその時は自分も切腹。って、聖を残していくのはとても辛いけど――だからといって、そんな失態を犯しておめおめと生きてはいけない。
と、その時だった。
「何てことを考えるんですかっ!!」
人の心は読めない。けれど、緑翠の表情からピンポイントでもってその考えを感じ取った蒼麗は、緑翠の胸を激しく殴打した。
しかも、超ピンポイントで心臓部分。思い切り激痛が走った。
「絶対に、緑ちゃんも銀ちゃんも死なせないわっ!勿論、私も死んだりなんてしない!!ってか、私だってもし二人に何かあれば、
聖達に顔向けなんてできないっ!!」
緑翠の許婚であり、銀河の妹の聖。緑翠の姉であり、銀河の許婚の暁春。
自分にとっても大切な存在である二人の悲しむ顔なんて見たくない。
ってか、二人の結婚式の時にブーケをゲットするともう決めているのだから、絶対に幸せな結婚式を挙げて幸せになってもらわなければならない。
「それに、私はお姫様じゃないんだから守られてばかりだなんて絶対に駄目!!」
そんな感じで力の限り叫ぶ蒼麗――だったが
「いえ、姫でしょう」
「蒼麗様は正真正銘の名門一族の長姫です」
「ってか、星家の第一公主だろうが」
「「黙れ!!」」
危うく此処で蒼麗の正体を暴露しそうになった羅雁に、緑翠と銀河は同時に怒鳴った。
つぅか、緑翠はともかくとして、銀河や羅雁まで蒼麗に突っ込むとは実は結構余裕なのかどうなのか。
「お前っ!!一応天桜学園はもとより、聖華学園には名門一族のガキ達が多く通っているから姫まではいいとして、
それ以上を暴露するんじゃねぇよっ!」
「その通りですっ!!蒼麗様のご身分は気軽に吹聴してもいいものではありませんっ!!それを貴方は分っているのですかこのスットコドッコイ!!」
一見して正気に返ったと思われた銀河だが、まだ完全には戻りきれていないらしい。
オロオロとする蒼麗を他所に、緑翠と銀河は羅雁に文句を言い続ける。
ってか、次蒼麗様の本来の身分をばらしかけたらこいつ――絶対殺す!!
一方、流石の羅雁も二人の真剣な怒りに、少々言い過ぎた事を悟っていた。
(確かに……下手なことは言えないな)
蒼麗は名門の家の出。但し、そこらの名門一族など全く問題に、いや、比べ物にすらならないほどの超が1000個は軽く付くほどの超名門一族の直系の姫君である。本人は否定するが、その身は権力や地位、身分、財力などの力を欲する者達にとっては喉から手が出るほど欲しい垂涎物の存在であろう。
それこそ、砂糖に群がる蟻のように蒼麗に男達は群がる事は目に見えている。
己の野心を大成させる為の道具として
また、そこに愛情などは微塵もないだろうが
というのも
(蒼麗は母親譲りの美貌を持っているが、輝かんばかりの美しさと魅力はもとより、華やかで清純可憐にして清楚、気品に満ち溢れながらも
妖艶で妖しい媚態と色香を放つ双子の妹に比べると思い切り霞むからな)
いや、霞むどころか存在さえ認知されない。それほどに、双子の妹の美しさと色香は圧倒的なのだ。蒼花を見た100人中100人全てが
彼女の虜になるだろう。そしてそのまま幸せな夢を見ながら骨の髄まで利用されるのだが。
と、それは置いておき、そんな妹と比べると、蒼花の魅力は今一つだ。色香は皆無だし、妹のように肌から芳しい香りが立つわけでもない。
また、妹のように白く滑らかな肌でもなければ、髪もさらさらとした艶のある代物でもなかった。当然ながら、華奢な体から溢れんばかりの魅力が
沸き立つ事だってない。
だが、だからといって蒼麗が全くの魅力なしかといえば、決してそうではない。
蒼麗の魅力は、彼女と付き合い共に過ごすことで分る。
現に、そうして蒼麗の魅力を知り惹き付けられた者は数多く居た。
妹のように、一瞬にして他者を魅了するのではなく、長く付き合って自分の良さを相手に知ってもらう。
それは、公式の場では色々と面倒な事もあるが、羅雁は嫌いではなかった。
寧ろ、その内面の美しさを好ましく思う。
だからこそ、欲しいと思った。
そう――蒼麗があの男の未来の花嫁たる存在でなければ、とっくの昔に奪っているのに
勿論、そう思うのは自分だけではないだろう。
今は自分だけだけど、それでもこの先彼女の隠された魅力に気づいた者達の中に、自分と同じ思いを宿す者が出ないとも限らない
因みに、蒼麗の双子の妹である蒼花に至っては、彼女を見た瞬間花嫁として欲する者達が昔から後を絶たなかった。
とは言え、彼女にはきちんと許婚がいるから当然断固拒否というお断りの答えを突きつけられてその件は強制終了させられる。
が、それで諦める者達ばかりがいるわけではなく、中には――というかその大部分が強引に
彼女を奪おうと刺客を向けてくる厄介なのも多く居た。それこそ星の数であり、更に今も増え続けている。
しかも、彼女を欲する者達は愛人や側室としてではなく、皆正妻として欲するのだから凄いの一言だ。
けど、俺はいらないし。
蒼花の本性を知っている羅雁は即効で思った。と同時に、蒼花を欲する者達の哀れなまでの騙されっぷりに呆れを通り越し、
哀れさまで感じる。ってか、あの女の夫なんて、あの最強と謳われる皇龍しか無理だろうが。
現に、蒼花を欲する者達が差し向ける刺客は全て彼女または彼女を守る護衛達に葬られている。
それを知った時、蒼花にだけは死んでも手を出さないと心に誓ったのは言うまでもない。
(しかも、あの女は自分のライバルまでぶっ潰すし)
皇龍に近づく女達もバッタバッタ潰している。それはもう見事なまでに。
もし、自分の妹の一人が皇龍に恋でもしようものならば――ってか、妻の座を望もうものならば自分は全力で止める。
そのせいで妹に嫌われてもその先の妹の幸せの為ならば寧ろ本望だ。
そこまで、羅雁は蒼花が苦手だった。
なので、蒼麗を自分の妻にした瞬間に蒼花との間に発生する義理の関係にはちょっとどころか結構怖かったりするが。
(だから、実は結構怖いんだよな)
別の空間に蒼花を飛ばしたことを。戻ってきたら絶対にボコりに来るのは目に見えている。
だから、その前にトンズラした方がいいのだが。
しかし――
「ってか、貴方は人の話を聞いてるのですかっ!!」
意識を内から外へと戻すと同時に、銀河の怒鳴り声が聞こえてくる。
どうやら、途中から反応がなくなった自分に対して怒り狂って居るらしい。
何時もの冷静さなんて遥か彼方のその様子に、羅雁は笑いがこみ上げた。
「何が可笑しいんですか?」
「いや、何時も冷静沈着な銀河様の怒りっぷりが楽しいだけだ。そして――階級は違うとはいえ、仲間に対してお優しい所もな」
嘲りに満ちた言葉に、銀河は自分の中の血流が速くなるのを感じた。
怒りが頂点を突き抜ける。
「それの何処が悪いんですか?」
階級?そんなものが何だ。青輝に対する忠誠の深さは同じだ。自分にとって大切なのはそれだけだ。
ってか今は一刻も早くこの忌々しい男をどうにかして、さっさと散った仲間達と、そして巻き込まれたホール内の係り達を弔ってやらなければ……
そこで、銀河は改めて羅雁を見つめなおした。
「一つ質問させて戴きたい」
「何だ?」
「カウンター内にあった私達の仲間達の遺体は……此処で始末したからでしょうが……昨日の内に殺されたホール内の係員達の遺体は、
私が先程此処を通った時にはなかった。だが、今此処にあるのは――貴方が運んできたという事ですか?」
その質問に、羅雁はクスクスと笑った。
「まあ……そういう事になるかな?でなければ、遺体は全て今頃ごみ収集所の中だったからなぁ?ご丁寧にゴミ袋に入れて安置されていたし。
そこの、臭いを消す為の香炉も俺の計らいだ。中々のものだろう?」
「ええ――中々のものですよ。まあ、係員達の遺体を闇に葬ることをしなかっただけでも良しとしましょうか」
既に、その肉体からは魂は去り、唯の肉の塊と化しているとはいえ、元は自分達と同じく生きていたのだ。
そしてもっと生きれた筈だった。暗殺者達が愚かな行動など取らなければ。
いや――それを取らせたのは、こちら側の失態である。
そのせいで、多くの犠牲者が出た。
もし、此処を選ばなければ係員達だけでも助かった筈なのに
だから……せめて遺体だけは葬ってやりたい
死人となる事なく、魔物と化す事もなく、再び光溢れるこの世界に生まれ変われるように
『危険?そんなもの、どんなものにでもつきものです。大丈夫――私達は自分達の意思でその危険を伴う計画に乗るのです。
その上での覚悟は出来ています』
そう言ったのは、係員の誰だっただろうか?
『この命は既に青輝様に捧げております。故に、覚悟は万全です』
そう言ったのは、どの仲間だっただろうか?
きっと、彼らはそれぞれにその覚悟と共に散ったのだろう。
けれど………
(願わくば、それでも生きていて欲しかったですよ……)
自分の邪魔をする者、刃向かう者、どうでもいい者の存在価値は極端なほど認めないのを常とする銀河。
しかし、その分己が認めた相手は心底大事にする。共に、戦う仲間達と、青輝達の立てた計画に潔くも強い決意を含めた覚悟を捧げてくれた
係員達は、正しく自分が認めるに相応しい相手達だ。
だから………
「仲間達、係員達の命を奪った者達全員捕縛させて戴きます」
一人も逃がすものか。自業自得、因果応報。
その言葉どおり、自分達がやった事に対する償いは受けてもらう。
それに必要な憎悪も怒りも怨嗟も、そして飛び散る血も全て自分が背負うから。
自分だって沢山の命を奪ってきたのだから偉そうなことは言えないし、他人の事を言う権利はない。
だが――
例え身勝手だろうとなんだろうと
仲間を傷つけられて黙っている自分ではない。
やられればやり返す。奪われれば取り返す。
それが、自分の誇りある生き方の一つなのだ
銀河の瞳に宿る強い決意の光に、羅雁は口の端を上げた。
ああ、そうだ。青輝と蒼花を別次元に取り込んでも尚、危険を犯して此処にとどまり続けたのは――わざわざ遺体を運んできたのは
こいつのこんな顔が見たかったからだ!!
何時も済まして上品ぶる青輝の側近の一人たるこの男を始めて見た時から、何時かこういう顔をさせてみたいと思った。
その強力で分厚い仮面の下に押し隠された激情を解き放ってみたかった。
さぞかし楽しいと、さぞかしこっけいだと思いながら。
そして結果は――予想以上のものだった。
常に穏やかで気品に溢れた冷静沈着な銀河様の激情はこの身に心地よく染込んで行く。
その憎悪が、怒りが濃ければ濃いほど負の感情を力とする自分に力を与えてくれるのだ。
羅雁はちらりと緑翠の方を見た。
今回は無理だが
何時かはあいつの仮面も引っぺがしてやりたい
その時は、今回よりも更に楽しくなるだろう
それを思い、羅雁は心の中で笑いながら銀河に向き直る。
但し、今は此方を楽しまなくては――
さあ、もっともっと楽しませてくれ
お前の激情が迸る様を――負の感情に塗れる姿をもっと見せてくれっ!!
その為ならば何だってしてやろう
だから、俺の暇つぶしの玩具となってくれ
「さて、はたして暗殺者どもに協力しただけの俺を捕まえられるかな?」
その場に、激しい闘気が渦巻いた
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