入学式は波乱に満ちて-9
「あ〜〜……退屈」
そう、誰もが聞きほれる玉響の如き美声でもってのたまうのは――もちろん、蒼花その人だった。
何もない暗い闇の中での空中遊泳を、のんべんだらりと満喫している。
普通の者であればだらしないという評価を頂いてしまう事はまず間違いないだろう。
加えて、足を組んでいるせいかスカートはまくれ上がり、胸元のボタンも幾つか外されいい感じで肌と胸の谷間が露出している。
が、そんな姿にも関わらず、蒼花の場合はどうマイナスに見ても美しくも色香漂う妖艶かつ蠱惑的さに溢れた気だるげな
様子にしか見えないのだから本当に不思議である。それどころか、その豊艶で魅惑的な肢体とあいまって、まるで誘っている
ようにさえ見える。普通の男、いや、同性でさえもその魅力には絶対に抗えない事は確実である。それこそ、1週間食事を
抜かれた獣が食べ物に飛付くかのごとく、蒼花へと襲い掛かっていくだろう。
が、同時に彼女がまとう神聖で神秘的な雰囲気が、そんな者達に対して強い理性を呼び起こさせ、更には畏怖を抱かせていく。
汚してはならない、傷つけてはならない――と。
その光り輝く存在に手を触れてはならないのだと。
そして自分達の本能が訴え警告する
汚す事も傷つける事もできない絶対的な領域
それが何なのかを
そう――それは、渇望して止まなくとも決して犯してはならない、汚してはならない神聖なる聖域。
蒼花は正にその聖域そのものだった。
欲しい、欲しくてたまらないのに、同時に汚す事をためらってしまう。
そんな美しさと華やかさ、清純可憐さ、そして神秘的な雰囲気を持つ少女――それが蒼花なのだ。
しかし、そんな蒼花と光栄にも一緒に居る――というか、居てしまったこの空間の唯一の存在であり、男であり、
幼馴染でもある青輝は他の男ならば即効で悩殺されても可笑しくない蒼花の美貌や肢体に全く気に止める事もなく
淡々と周囲を探り続ける。
彼が今気にかけているのは、この空間から出る為の術の綻び探し。ただそれだけであった。
「あいつめ……綺麗に隠しているな」
この異次元に取り込まれてもう数十分はたっただろうか?
羅雁の作り出した異次元はそれはそれはすばらしい出来だった。
上下が分らない無重力。深く禍々しい漆黒の黒い闇。生きている者の気配が全くせず、聞こえてくるのは自分達の
微かな息遣いぐらいの無音の世界。
普通のものならば瞬時に気が狂うであろう。
しかも、それに加えて出血大サービスと言わんばかりに闇の中から出現するのは幽霊だか化け物だかよく分らない者達。
彼らは何処までも執拗に青輝達を追いかけ、その身を食らおうとする。
勿論、全く成功していないが。
今まで色々な体験をしてきた挙句、そもそもが強すぎる精神力を持つ青輝と蒼花。
この程度の暗闇も無音も無重力も、更には化け物達の猛攻撃にひるむ所か逆にやりかえし、それどころか
ストレス発散とばかりにこの状況を楽しんでいた。
が、そうやって楽しんでいられたのも最初のうちだった。
数で攻めまくっていた化け物達。
しかし、どれだけ攻撃をしかけても一向に弱る事がなく、逆に生き生きとしてくる二人にいつしか息を潜め怯える始末。
それもそうだ。そもそもその潜在能力自体が無尽蔵と言われる二人である。
しかも、実戦経験も豊富で実に様々な危険な状況を乗り越えてきた彼ら、しかも素晴らしいまでに図太い精神力を持つ
彼らにそこらの化け物達が敵う筈も勿った。いいところ、ストレス発散に使われるだけである。
よって、それを痛いほど理解した化け物達が逆に逃げてしまい、
今では手持ち無沙汰となった二人であった。
これが、蒼花の退屈宣言ら繋がるのである。
しかも、どれだけ退屈と騒いでも青輝を手伝って外に出る方法を探さないのだから良い根性をしている。
因みに、青輝は気紛れな蒼花の内面を理解している為か、何も言わず唯黙々と作業を続ける。
「ねぇ、まだ見つからないの?」
そう思うなら手伝え
そう思っても口に出さない青輝はまさしく紳士である。
「ねぇ、見つからないの?化け物達」
「ちょいまて」
蒼花の言葉に、今度は突っ込む青輝。
当たり前だ。自分が探しているのは術の綻びであって、化け物ではない。
ってか、こいつ!!ずっと化け物を探してると思ってやがったな!!
「お前、ふざけてるのか?」
「ふざけてなんかいないわ」
自分に負けず劣らずの月の如き神秘的な美貌を怒りの色に染め上げる幼馴染に蒼花はさらりと言った。
「だ〜か〜ら、術の綻びを探しつつ化け物達も探してくれてるのかなぁ〜って思ったのよ」
どうやら、術の綻びを探している事は分っていたらしい。が、そんな探さなくてもいい化け物まで探してたまるかっ!!
「もう良いからお前も手伝え」
「え〜〜?!別に単純に力で壊せばいいじゃない」
自分達の力ならば簡単だ。確かに本来の力は封じられているが、この程度の空間ならばわけはない。
「馬鹿。現実世界に影響が出る。ホールが吹っ飛ぶぞ」
ホール内に設置されている術で作られたこの異次元。下手な破壊をしたが最後、ホールが破壊される。
そうなったら、暗殺者達ではなく自分達が大量虐殺する羽目となる。
「お姉さまさえ無事なら良いわ」
そう言い切る蒼花に、青輝はため息をついた。
まあ、確かに自分達の他の幼馴染達は何かあればすぐに逃げるから大丈夫だろうが――
ってか、今本人達自体はホール内に居ないし。
というのも、皆仕事――それも別件で外に出てしまっているのだ。
元々、最初から半数は入学式に途中参加する事になっており、残りの半数が今回の受賞者暗殺計画阻止の為に
今日も動くことになっていた。しかし、それを狙ったかのように入ってきた幾つかの暴動事件。関係性が無い事はすぐに分ったが、
それでも即座にその場に赴き危機に瀕している自分達の家が治めし危機に瀕している国を助けに向かわなければならなかった。
故に、此方に残ったのは自分と蒼花の二人だけ。
他の幼馴染達は皆、入学式を途中参加する事となっていたのであった。
が、それ故に異次元に飛ばされるなどという難にはあわずにすんだのであろうが。
まあ、そんな感じで蒼花にとって気にかけるのは双子の姉の蒼麗唯一人。
よって、蒼麗さえ無事ならば彼女は何の躊躇いもなくこの空間を壊すだろう。
誰が死のうが知ったことではないと言わんばかりに。
「蒼花……」
「私が大事なのはお姉さまだけなんだから仕方ないでしょう?」
そんな自己中心的な発言も蒼花ならでは。青輝はもう何度目になるか分らないため息をついた。
その時だった。
キィィィィィン
「ん?」
青輝の胸元から発せられる光。
「どうしたのかしら?月光石が反応してる?」
青輝の家に伝わる宝珠。
何時もはネックレスにして妹の首にかかっているが、たまたま今回妹から預けられ、首にかけていたその丸い宝珠が光を放つ。
「一体……何だ?」
と、青輝が呟いた瞬間。
月光石が放つ光が閃光となって辺り一体を覆う。その眩しさに、青輝と蒼花は即座に目を覆う。
美しく神秘的で、幻想的なその光は闇を一瞬にして払う。
辺りの様子が一気に変わる。
そうして、光の収まりと共に青輝達の目に映ったのは
「これは………」
現れたその光景に、青輝は呆然と呟いた。
入学式開始時までの一時的な待合室として与えられた室内では、嬉しい予想外である豪華な料理に舌鼓を打つと共に、
人々は思い思いに歓談を楽しんでいた。
話の内容は、入学式の事から始まり、近状の出来事、そして今後の生活やその他色々と多方面にまで及んだ。
美味しい料理がより口を軽やかにするのだろう。皆、この後の入学式に対する緊張など何処吹く風といった風でさえあった。
また、室内に設置されている幾つかの大きなソファーにてくつろぐ者達の中には、満腹のせいか心地よい眠りを
満喫している者さえ居た。他にも、大型テレビで放映されている映画やワイドショーなどに見入る者も居た。
更には、流れてくる心地よい音楽にジッと聞き入る者達もいれば、予め用意されていたオセロやら将棋やらを
楽しむ者達の姿もちらほらと見えた。
そんな感じで、この部屋では子供達はおろか、その親達も今現在与えられた思いがけない休養を心から楽しんでいた。
特に、親達の殆どは何時も仕事で忙殺されており、中には前日まで徹夜をしていた者さえ存在していた。
そういう者達にとっては、こんなにもゆったりとした時間は願ってもいない事であろう。
そうして気持ちに余裕が出てくれば、この機会に子供達との会話を楽しもうと積極的に話をする親達も現れ始める。
何時も忙しくて余り構えないけれど、その心の中では何時も子供達を気にかけてきていた。
何をしているのか、何をやっているのか、何を思っているのか――そして元気でやっているのか。
生活の為に働き、忙しさに忙殺されながら、それでも子供達と話す機会を望んでいた親達はこれはチャンスとばかりに
子供達と会話をする。一方、子供達も口ではなんだかんだと言いつつも、まだまだ親が恋しい年齢と言う事もあり、
ある者は素直に、ある者は照れながら、ある者はぶっきらぼうに答えを返していく。
また、逆に両親達に色々聞いたりと会話は時が進むにつれてどんどんと弾んでいった。
が――そんな中、此処で食事をし、思いも思いにくつろぐ今日の主役の一人である天桜学園中等科1年生の
特別クラスの面々だけは大きく違っていた。
彼らの周りは非常にすっきりとしていた。
飛び交う質問も、他では絶えない親子の会話もない。笑い声も子供達の分しか響かない。
というのも、そこに彼らの両親達の姿がなかったからだ。
いや――そもそも最初から彼らの両親達は今回の入学式に来ていなかったのだった。
理由は仕事。彼らの親はそれぞれ特殊な任務についている為、元々普段から滅多に会えない。
今回も数日前に仕事が入ったと連絡が来ていた。また、いけるかも知れないと言っていた両親達もいたが、
それも全て前日でキャンセルになっていた。
故に、特別クラスの面々だけしか、其処には居なかった。
時折――いや、今や事有るごとに、同情や哀れみを含む眼差しが向けられる。
それどころか、ひそひそと、時には口に出して面と向かって同情される事もあった。
だが、他の生徒達が両親達と共に笑いあい楽しく過ごす中、特別クラスの面々は特にこれといった反応を示すことはなかった。
何時もどおりにわいわいとクラスメイト達同士の会話を楽しむ。
それは、周囲が肩透かしを食らうほどにあっけらかんとした光景であった。
だが、それも当然だろう。
両親達が来れない事なんてずっと昔から知っていたんだし。
確かに……小さい頃はとても悲しかった。
全ては特殊な任務につく両親を持ってしまったが為の不運――だと考えるには余りにも幼くて。
よく両親恋しさに泣いたりした。寂しくて眠れない時もあった。両親に会いたいと大騒ぎした事さえあった。
他の子供達を羨ましく思うことも――憎しみさえ抱く事もあった。
しかし――今ではそんな事はどうでも良くなっている自分達が居る。
何故なら、一人ではないからだ。そう、苦しいのも辛いのも、自分一人ではない。同じ境遇のクラスメイト達が居る。
それを、今の自分達は知ってしまったからだ。それに、両親達の辛さも苦しみも知っている。
子供達と共に居たいと願うその心も、どりだけ子供達を愛しているかも、そして自分達がどれだけ両親達に
愛されているかも。寂しいのは自分だけではない。寂しいのも辛いのも皆一緒なのだと。
そうして、一人で苦しんでいればそんな同じ悩みを持つ皆が乗り越える為の手助けをしてくれる。
時には励まし、時には宥め、時には拳で語り合って。そればかりか、そんなに辛いのならば
自分で会いに行けばいいと両親の説教覚悟で送り出してくれる時もあった。
そう――自分で会いに行く。
小さい頃とは違い、今なら自分の足でいく事が出来た。
大好きな両親達の元に
こんな危ない所に来てと怒られるのが大半だけど
それでも、一通り説教した後には力いっぱい抱きしめて頭を撫でてくれる。
沢山の手料理を振舞ってくれて、傍にいてくれる。勿論仕事をしながらだから余り会話は出来ないけれど、
此方から一方的に話す内容を一つも漏らさずに覚えてくれている。
それが――どれだけ嬉しい事であるか。
普通の親子のように長くは一緒に居られないけれど、それでも短い間ででも子供達の事を少しでも知ろうとしてくれる
両親達の姿は、自分達にとって理想の姿でもある。そして――滅多にない休暇を使って自分達と一緒に居てくれるのは、
例え外に遊びに行けなくても本当に嬉しかった。両親達は自分達を愛してくれていると骨の髄にまで感じ取る事が出来る。
あの、優しい笑顔を欲して止まない。
その為ならば、どんなに危険でも傍に行きたい。
そう――両親達がいけないのなら、こっちから行けばいい。中学校の制服を見せに行けばいいのだ。
怒られたって構うものか。こっから行動を起こさなければ無理ならば喜んで行動を起こす。
そんな思いを胸に、両親達の元への突撃訪問計画を今も綿密に立て続ける特別クラスの面々は、
周囲から聞こえてくる同情の声などものともせずに、入学式後の事に思いを馳せ続けるのであった。
が――
そんな時間も、ほどなくやって来た人物によって終わりを告げる。
「失礼します。皆様、会場の用意が整いましたので、どうぞ会場へ移動下さいませ」
それは、腕に案内人の腕ペンをつけた男性だった。
予め、腕に特殊な腕ペンをつけた相手が迎えに来ると聞いていた室内に居る者達は、その男性の言葉に従い始める。
「ようやく式か。いや、久しぶりの休養もできて楽しめたよ」
「さて、子供の晴れ姿を見るとするか」
子供達の父母達がそう呟いて、部屋の外へと向かっていく。
そんな中、案内人の男性が近くを通った部屋のスタッフに声をかけた。
「すいません、青輝様からの命令です」
ささやく様なその言葉に、スタッフの顔つきが変わる。
このスタッフも、いや、この室内に入るスタッフ達はすべて青輝の部下達だった。
「無事に暗殺者達は捕獲したとの事。なので、別室に居る受賞者達も式場へと案内するようにと。
但し――残党がいないとも限らないので、極秘に行うようにとの事です」
その言葉に、スタッフは頷いた――が
「?」
何だろう?何か違和感を感じた。そのせりふはどこもおかしくはない。
しかし
「どうしました?」
案内人の男が問いかける。
「え、あ、あの、つかぬ事を聞くけれど、それは本当に」
目の前に、小さな香水瓶が突きつけられる。
あっと思う暇も勿った。気づけば蓋の開いたその口から香る不思議な匂いを一杯に嗅いでいた。
目がかすむ。体のの感覚がなくなっていく。頭にもやがかかり、意識が遠のいていく。
「わが命に従え」
案内人の男の不気味な囁き。
「おい、どうした?」
不審に思った他のスタッフ達が声をかけてくる。
しかし、近づこうと歩き始めたその時、それまで案内人と話す為にこちらに背を向けていた同僚がくるりとこちらを向いた。
「なんでもないわ」
そうして、案内人から齎された「青輝の命」を他の同僚達にも伝えていく。
すぐさま動き始めるスタッフ達。残された案内人は懐に再び隠した香水瓶を弄りながらニヤリとその方向に向けて笑いかけた。
すると、そこにスッと黒ずくめの男が出てくる。彼の口元に不敵な笑みが浮かんだ。
「チョロいもんだ」
「だな」
あと、もう少し。
全員を会場内に集めて――――すれば、ようやく本国からの命は完遂される。
そうして、羅雁から手に入れた傀儡香を握り締めながら、黒ずくめの男は計画の成功を夢見て笑ったのだった。
――と、その時
隣でこれまた嘲笑を浮かべていた案内人の手首に嵌った鈍い光を放つ銀のアンクレットのある部分に、
持ち主さえ気づかない微かな皹が入る。
それは、まるでその持ち主を戒めるかのように
いや、持ち主に失望したと訴えるかのように
静かに、決して元に戻らない傷を刻み込む
そんな銀のアンクレットに刻まれし紋章
その名は月耀紋
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