入学式は波乱に満ちて
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「――って、お前、独り言が多くなったな」


「うきゃあっ!!」



なんだかんだと思い出しては自分の世界に入り込み、終には何時の間にか項垂れていた所を突然下から青輝に覗き込まれた
蒼麗は、驚きの余り素っ頓狂な悲鳴を上げた。と同時に、そのまま後ろにひっくり返って後頭部を強打する。



「いったぁぁぁぁ!!」



ゴッチィィィンという思い切り強打したのがはっきりと解かる素晴らしい衝撃音が辺りに響き渡る。
そんな中、当然ながらその痛みに半泣きになった蒼麗だったが、そんな彼女に青輝は思い切り追い討ちをかけてきた。



「相変わらずのドジっぷりだな。そんなに頭をぶつけているとその内はげるぞ」



感情に乏しい声音だったのが幸したのか不幸だったのか。暫く蒼麗は何を言われたのか理解できなかった。
しかし、理解出来た後はノンストップで切れた。



「女の子に剥げるってどういう事だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!!」



「安心しろ。女でも禿る事は立証している――俺が」


ふざけんなっ!!蒼麗は腹の底から怒鳴った。


ってか、何時も何時もこの男はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!


その内面と同じく、口を開けば鬼畜で腹黒な青輝に、蒼麗は怒り狂った。
が、同時にその怒りにもの悲しさも覚える。
ってか、自分は知っているではないか。青輝が人と顔を合わせれば
いつもこうだった事を。また、人をからかい、おちょくり、馬鹿にしてくるのも。


それこそ、本当に自分達は許婚なのかと疑いたくなるぐらいに。
ってか、何で青輝の事が好きなんだ自分と問いかけなおしたくなるぐらいにっ!!


いや、確かに自分も青輝に対して許婚らしく振舞ってないどころか、
婚約破棄する望んでいる。だが、だからと言って一応は幼馴染でもある自分に
こんな暴言の数々――他の幼馴染達には言わないくせに。

とは言え、昔――まだ本当に幼い頃はこれほど暴言は酷くなかった。
青輝の暴言がこうして酷くなりだしたのは、自分が家を出てから位である。

何時もちょこまかうっとおしい、無能な許婚が傍から居なくなった事で喜び万々歳。
機嫌も頗る良くなっているだろうと思っていたのに、家出してから初めて会った時にはそのマシンガントークでもって
罵倒の嵐を浴びせてくれた。

そしてそれは日を追うごとに酷くなっていった。
今なんて、顔を合わせる度に酷い暴言を吐いてくれる日々。

お陰で、自分は昔はあんなにも青輝の事が純粋に好きだったのに、今では苦手意識も
恋慕と同じ位の割合を自分の中で占めているという現実。はっきりいって、優秀すぎる相手が自分の許婚になってしまった
事に対するコンプレックスによる苦手意識よりもその割合は高い。

因みに、その苦手意識が一番初めに芽生えたのは、勿論家出して初めて顔を合わせた時の罵倒の嵐が原因である。
あれは思い切り自分の中に心の傷を残した。

何せ、家出した自分への最初の第一声は


『家出したって聞いたから、既にどこかでのたれ死んでいると思ってた。お前、無能で力なしの落ちこぼれの面汚しだし』

だった。


そりゃぁ傷つくだろう。
だが、その後の罵倒の嵐を考えれば、そんな第一声はささやかなる序奏にしか過ぎなかった。



(ええ、そうよ………あんな言葉は本当に――本当にっ!!ささやかだったわ――)


蒼麗の脳裏に次々と蘇り始める青輝の暴言の数々。
今思い出しても泣けるし深く傷つける。因みに、他の幼馴染達も結構自分に暴言を吐いてくるし、何時もちょっかいをかけてはからかってきて、
時には洒落にならない事もしてきたけど、そんなものは青輝がしてきたことに比べればかなりマシ………な筈だ。


青輝に対してと同じく、苦手意識を思い切り芽生えさせてはいるが、それでもマシだと自分は断言………出来る。



昔はあんなに仲が良かったのに。結構馬鹿にされたりからかわれたりする事も多かったけど、それでも本当に仲が良くて
苦手意識なんて殆どなかったというのに……



今では、彼らに対する苦手意識は顔を合わせる度に鰻登りしていく。(←もはや断言)




お陰で、現在の蒼麗にとって許婚でもある青輝を筆頭に、物心付く前からの幼馴染達の存在は、それこそかなりの苦手意識が
芽生える対象と化しているのであった――




っていうか、ぶっちゃけ苦手なのである。
それこそ、彼らに比べれば、もう一つ苦手なあれなど可愛いものだと思えてしまう位に。


とまあ――こんな感じだから、もし仮にこの部分だけを知った者達であれば、彼ら――青輝達が苦手だから婚約を
破棄しようと思ってしまう者達も当然ながら出てきてしまう事はまず間違いないだろう。実際にそう思っている者達もいるし。


――が、それだけは違う。


自分が婚約破棄しようとする理由は、皆の幸せの為。つまり、皆を好きな
気持ちから来ている。間違っても、苦手な方からではない。
そう、どんなに苛められたとしても――


そして再び思い出されていく暴言や嫌がらせの数々――


って、許婚なのに、幼馴染なのに


いや、まあ許婚は解消しようとしているから苦手でも問題はないんだろうけどさ……



しかし、そうは思っても女の子に剥げるという言葉を使った青輝への怒りは収まらない。



「くぅぅぅぅぅぅぅっ!!」



という感じで、先程のシリアスで悲痛な思いなんて今や何処吹く風。
悔しさをかみ締め、振り上げたままの拳をどうする事もできずに唸り声を上げる。



「ってか、何で何時も何時も」


「悔しいか?でも、全部本当の事だから言い返せないだろう?」


怒りに打ち震える蒼麗に、青輝は更に淡々と述べた。


って、ちょっと待て!


「それって私が剥げるって事じゃないっ!!実現してたまるかぁぁぁぁぁぁぁあああっ!!」


だが、青輝は完全無視。それこそ右から入って左から抜けるのではなく、完全に防音シャッターを耳に下ろしていた。



ひ、酷いっ!!


「う〜〜〜〜」


前以上に唇をかみ締め、蒼麗は青輝をにらみつけた。



と、青輝が動く。
気づけばいつの間にか覆いかぶされていた。




はい?




「あ、あの?」



ちょっと近すぎるんですけど――
いや、その前になんでこんな体勢に?



青輝に押し倒される形となった蒼麗は頭の上に沢山の疑問符を飛ばした。

だが、その間にもその麗しい顔は間近に迫り、その赤い唇から吐かれる吐息がかかり、そして肌や髪から香る妖しくも
気高く品のある芳香が自分を包み込んでいく



「……っ……」


極上の媚香よりも香り高く芳しいその体臭を感じる度に、意識が朦朧とし始める。
体は熱を帯び始め、だるさを覚えていく。そして自然と力が抜けていくと共に、思考が覚束無くなる。



このまま、何もかも忘れて全てを任せてしまいたい



この身も、心も



自分の全てを



そう――普通の者ならばとっくの昔に自分の全てを明け渡しているだろう。


だが、蒼麗は必死に抵抗する。自分の中にあるそれが必死に警告を発する。






このままだとやばい




このまま行くと取り返しが付かなくなる





「しょ、青輝ちゃんっ」



今や苦手意識など遥か彼方に飛んだ蒼麗は、必死に青輝の体を押しのけようとする。



だが、すぐに両手を抑え付けられ首筋に顔をうずめられた。



そして感じる痛み。それが首の皮膚を唇で強く吸った事による物だと気づいた時には、蒼麗は青輝に解放されていた。



自由になった体をかき抱き、蒼麗は怒り狂う蒼花を片手一本で抑え付けている青輝を睨みつける。
しかし、その瞳は潤み、頬は紅く染まり、また上目遣いとなっている事から、その睨みは怖さよりも色香を称えていた。




それに、青輝はクスリと笑った。



「ああ、いい感じになったな」



艶っぽい囁きが落ちる。



「何がいい感じだって言うの?!」


いきなり押し倒された挙句に首筋を吸われた蒼麗は、怒りを滲ませながら言った。
すると、青輝はまるで小ばかにするかのように笑った。


「何って、それは」


「この馬鹿青輝っ!!せっかく私が姉様につけた香りを勝手に消しやがったわね!!」


部屋一杯に響き渡る蒼花の叫び。その意味不明な発言に、蒼麗はあっけに取られた。




って、香り?それも蒼花が私につけた?




だが、そんな蒼麗を他所に話は勝手に進んでいく。



「黙れ。勝手に蒼麗にあんな香りをつけやがって。ってかお前ならばまだしも、あんな色気のない無防備な奴にあんな香りを
つけたら数分後には処女喪失だろうが」



「あんな香りって失礼ねっ!!私の香りに文句つけんじゃないわよっ!!」



私の香り――それは、蒼花から香る極上の媚香よりも芳しい甘い芳醇な香りの事だった。
そしてその香りは異性の本能に呼びかけ、虜にし、意のままに操れるばかりか、種の保存だけを目的とする純粋な獣へと還元してしまう。
また、同性に対してもこの香りは効果を持ち、その心を虜にし思いのままに操る事が出来る。
正に、どんな香水すらも叶わない香りの極致。


それを、先程蒼麗に纏わり付いた時に思い切りつけていたという。



所謂、マーキングだ。姉は自分のものだと言う事を周囲に知らしめる為に姉の体に自分の香りを擦りつけたのである。





――が、説明したようにこの香りは異性に関しては純粋なる獣へと還元してしまう効果を持っている。
つまり言い換えれば、男達を発情させた挙句、本能のままに行動させてしまうのである。
勿論、その男達が本能のままに振舞おうとする相手はその香りの持ち主――蒼花または、その香りをつけられた相手だけ。




なもんだから、こんな香りを蒼麗がつけてそのまま歩き回ったが最後、その香りに理性を無くした者達が
蒼麗に襲い掛かる事は火を見るよりも明らかであった。




それ故に、それを察知した青輝はすぐに行動を起こしたのであった。




即座に、蒼麗から蒼花の香りを消し去るという行動を。



先の押し倒しはその為のものであった。


――が、その方法は少々強引なものであるのも事実であり……



「ってか、よくも人の香りを消しただけじゃなくて、あんたの香りを姉様につけやがってぇぇ!」



そんな蒼花の叫び声が示すとおり、少々強引な方法――自分の香りをつける事で蒼花の香りを消し去ったのであった。

という事で、今度は青輝の香りを纏う羽目となってしまった蒼麗は、唯唯呆然と事の成り行きを見守る。
だが、そうこうしている間にも、自分の匂いを消された挙句に、幾ら姉の許婚とはいえ、他の男の匂いを姉が纏うその現実に
怒り喚きまくる。一方、青輝は飄々とした態度で蒼花を軽くあしらう。
幾ら、実力や潜在能力自体は同等とはいえやはり年上である青輝に分があるようであった。


飛び掛ろうとするものの、青輝に片手で抑え付けられ、蒼花は不満に歯軋りをした。


「私の姉様に手を出すんじゃないわよっ!ちくしょう!せっかくお姉様との甘い時間が過ごせると思っていたのにぃぃぃ!」


姉と二人っきり。
その楽しい時間は青輝の登場によってあっという間に音を立てて崩れ去っていった。

しかし、当の青輝はというと


「残念だったな?俺の側近は優秀でな」


そう言って、不敵な笑みを浮かべて蒼花を挑発する。
それがまた怒りを大いに煽ってくれた。
とは言え、青輝の言うとおりだったのは確かだった。銀河と言葉を交わしたのが蒼花の運のつき。
銀河はお役目第一とばかりに青輝に情報をしっかりと流してくれた。
というか、青輝の質問にたまたま何気なく答えて発覚しただけだという感じでもあるが……。


しかし、どんな経緯だろうとしっかりと青輝の耳に入った時点で蒼花の企みは阻止されたも同然である。
また、青輝の言葉でこのムカつく男に情報が漏れた大体の経緯を悟り、蒼花は鋭く舌打をした。



(ちっ……向こうの仕事で追われているから当分は邪魔は入らないと思ったのにぃぃぃぃぃ)



「諦めろ。幾らお前でも、たかだか12歳の少女に出し抜かれるほど俺も甘くはない」



そして青輝は表情を消すと、蒼花に向けて口を開いた。



「それよりも――勝手に行動した事に対してお前はどう言い訳をするんだ?最初の取り決めでは、他の特別クラスの生徒達は
入学式会場。だが、蒼麗だけは賞の授与がされる為に、他の授与者として別室に――警護の万全な場所に向かわせるという事に
決まっていた。なのに、お前は自分の子飼いの者を使って蒼麗をこの部屋に勝手に誘き寄せた。……何かあったらどうする気だったんだ」


「煩いわね。ってか、この私があんな奴等如きに遅れをとる筈がないでしょう?さっきだって秒殺だったんだし」


そうしてクスリと妖艶な笑みを漏らす蒼花に、青輝は疲れたように溜息をついた。


「それは結果論に過ぎない」


「結果が全てよ。結果が駄目ならばどれほど過程が完璧でも何の意味もないわ」


「その過程の不備で結果が大きく変わる可能性もある」


「しつこいわね。この私がしくじるわけがないじゃない」


それは、青輝にも納得できた。特に、今回のように姉が関わっている事に関しては蒼花は仕損じることはない。
自分の意思で失敗に見せたり、手を抜くことはあるが、失敗させられたり、失敗する事はなかった。


しかし、勝手に行動し、最初の取り決めを破って蒼麗をこの部屋に連れて来た事に対しては納得は出来なかった。


しかも部屋の周囲にはご丁寧に結界まで張ってある。もし、銀河から聞かされなければ他の幼馴染達でさえも蒼麗が此処にいる事は
解からなかったであろう。と共に、部屋に入った瞬間に目に飛び込んできた蒼麗と蒼花の姿に、青輝は手を強く握り締めた。



「本当に心配しょうな男だわ」


「蒼花」


「ああもうっ!解かってるわよ!今からお姉様を別室に移動させればいいんでしょう?」


地獄の底から這いずり上がって来るかの様な青輝の声音に、蒼花は渋々ながらそう叫んだ。



が――




「ちょ、ちょっと待って!!」



それまで呆然と事の成り行きを見守っていた蒼麗が、険悪なムードをかき消すかの様な声を上げた。


その切羽詰った叫びに、青輝と蒼花は同時に蒼麗の方を向く。


と、そこには蒼麗の困惑しきった顔があった。



「一体――何がどうなってるの?」


本人を無視して勝手に進む話に、蒼麗がそんな呟きを発したのは当然の事であろう。





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